知る人ぞ知る和歌山県の特産物

紀伊半島の西側に位置する和歌山県は気候が温暖で自然も豊かであるため、みかんやオレンジ、はっさくなどの柑橘類を中心に桃や柿、いちじくといった果物の生産が非常に盛んです。日本有数の生産量を誇るため果樹王国とも呼ばれており、特産物や特産品としての人気が高いですが、和歌山県には果物以外にも代表的な特産物がまだまだたくさんあります。しかし、和歌山県で作られていることや発祥のものだと知らないものも多いため、今回は知る人ぞ知る和歌山県を代表する特産物について紹介していきたいと思います。

梅・梅加工品

和歌山県の特産物として忘れてはいけないのが“梅”です。県内では柑橘類に負けないほど梅の栽培も盛んで、その収穫量は日本一多く、全国の約6割を占めています。梅と言えば紀州と言われるほど和歌山県産の梅は質が高く、大粒で肉厚、柔らかくてフルーティーな香りを感じられるのが紀州梅の特徴となっています。しかし、これは認知度が高く県内でも最もポピュラーな「南高梅」を指すことが多く、南高梅よりも一回り小さい「小粒南高」や青いダイヤとも呼ばれるほど色鮮やかで実が引き締まった「古城(ごじろ)」など、梅の種類によって大きさや特徴も変わり、収穫時期や使用用途も分かれています。

梅は野菜や他の果物のように常に店頭に並んでいることは少なく、手軽に購入してそのまま食べるということもほとんどないため一般的には注目されにくい果物ではあります。特に熟す前の青梅にはアミダグリンなどの青酸を含む天然の有害物質が多く含まれており、口にすると頭痛やめまい、吐き気、ひどい場合には呼吸困難や心停止などの青酸中毒を引き起こす可能性が高いため生のまま食べることは出来ません。しかし、実が成熟していく過程で有害物質は少しずつ分解され、漬ける・干すなどの工程を加えるとさらに分解されていきます。こうした理由から、梅は長期間熟成して作られる梅干しや梅酒などに加工することが多いのです。また、黄色や赤に熟した完熟梅も有害物質が分解されて毒性がないためそのままでも食べることは出来ますが、香りの割に甘みが少ないこともあって青梅同様、梅干しやジャム、ジュースなどに加工されることの方が多くなります。そのため、和歌山県では梅の生産と同じく梅の加工品の生産も盛んに行われており、梅干しや梅酒の生産量も日本一となっています。

温暖な気候を好む梅は、田辺市やみなべ町を中心に県内北部よりも温暖で日照時間も長い中部から南部にかけての地域が主要産地となっています。それに加えて、水はけのよい土壌などの環境も梅の栽培に大きく影響していますが、実は初めから土壌などの環境が整っていたわけではなく、地元の方や農家の方たちが年月をかけて改良し、努力してきた結果が現在に繋がっています。和歌山県で梅を栽培するようになったのは今から約400年も前の江戸時代初期頃、当時の領主である安藤直次が梅の栽培を推奨したことがきっかけで広まっていきました。田辺市やみなべ町がある地域は昔、石が多く荒れた土地だったため農作物が育たず、年貢に苦しんでいた農民を助けるための解決策として梅の栽培がはじまりました。さらに、和歌山県での梅の栽培は山の斜面で育てられているのが特徴であり、もともと生えていた薪炭林の間に梅の木を植えることで山が崩落するのを防ぎ、また、薪炭林に住む日本ミツバチの力を借りて受粉をすることで生産の効率化もしています。この画期的な農業システムは2015年には「みなべ・田辺の梅システム」として世界農業遺産にも認定されており、養分が欠けていた荒れ地から始まった梅の栽培は400年もの間、自然の力を最大限に利用し、改良を重ねてきたことで現在の高品質な梅を生産することに繋がっているのです。

5月~7月にかけて収穫される梅は種類や特徴によって加工の仕方も変わり、それぞれに美味しさを感じられます。特に梅干しは使われている梅の種類が1番幅広く、大きさや柔らかさ、香りなど特徴の違いに加えて、風味や製法、熟成期間などが合わさることで膨大な数の梅干しが生まれています。質の高い和歌山県産の梅から作られる梅干しは高級品として扱われているものも多く、普段使いやお土産だけでなく贈り物として重宝されることも多いです。日本人にとって梅を使った加工品は非常に馴染み深いですが、産地だからこそ感じられるこだわりや美味しさがあるため、和歌山県を訪れた際にはぜひ、梅の種類にも注目して梅干しをはじめとする加工品を選んでみて下さい。いつもとは違った角度からの美味しさや楽しさを味わうことが出来ますよ。

金山寺味噌

古くから日本の食文化を支えてきた味噌は、栄養が豊富で体にもよく、私たちの生活には欠かせない調味料の1つです。日本各地にはその土地の風土や食文化に合わせて進化してきた味噌がいくつもありますが、和歌山県にはさらに個性豊かな味噌があるのをご存じですか?伝統食でもある“金山寺味噌”は一般的な味噌とは違い、米や大麦、大豆などの穀物に麹菌、さらにナス・瓜・生姜・シソなどの野菜を加えて一緒に自然発酵して作られています。穀物だけでなく野菜から出てくる旨みも両方味わえるのが大きな特徴であり、味噌の旨みと塩味に加えて甘みやコク、深みのある香りなどを味わうことが出来ます。ごはんやお酒のお供として食べるのが定番ではありますが、他にも冷やっこやサラダ、焼いた肉などのトッピングとして、また、料理の調味料としても使うことが出来る万能な味噌であり「なめ味噌・おかず味噌」の代表的な種類でもあります。

なめ味噌は熱を加えて作られる「加工なめ味噌」と醸造して作られる「醸造なめ味噌」の2種類に分けられており、馴染み深いピーナッツ味噌や柚子みそ、鉄火みそなど多くのなめ味噌は出来上がった味噌を原料に、具材となる野菜や調味料を後から加えて作られています。これに対して金山寺味噌は、味噌を作る過程で野菜などを加えているため醸造なめ味噌の扱いとなり、加工なめ味噌とは全く違う種類であるのも特徴になります。同じ醸造なめ味噌には「もろみ味噌」も含まれており、工程や見た目が似ていることもあって同じものとして扱われやすいですが、もろみ味噌には野菜などは入っておらず、米や大豆、大麦などの穀物に麹菌を加えて発酵させたシンプルな味噌であるのが金山寺味噌との違いです。そのため、調味料として使われること方が多く、野菜が入っている金山寺味噌の方がよりおかずとして食べ応えがあり、食材の旨みも感じられる作りとなっているのです。

金山寺味噌は鎌倉時代、当時の中国・宋から和歌山県由良町にある興国寺に伝わったという説が有力とされています。興国寺を建立した覚心という僧が「経山寺味噌(きんざんじみそ)」の製法を宋から持ち帰り、地元の人に広めたのが始まりとなります。その後は水質が良く、味噌を醸造する環境に適していたことから湯浅町を主な金山寺味噌の生産地とし、江戸時代前半に「経山寺(きんざんじ)」という名前で販売したことをきっかけに和歌山県の名物として広がっていきました。ちなみに日本語で経という文字はきんではなく“けい”と読むことの方が一般的だったため、金という漢字を使うようになったとされています。さらに、金山寺味噌を作る過程では野菜などから出てくる「溜まり」という水分が生まれ、これを調味料として使ってみたところ美味しかったことが醤油のはじまりにもなっています。熊野古道の宿場町としても栄えていたこともあり、次第に湯浅町には全国から醤油の作り方を教わるために訪れる人も増え、金山寺味噌を作る中で生まれた醤油は味噌と並んで日本にはなくてはならない調味料として全国で親しまれるようになりました。おかずとしても調味料としても万能に使える金山寺味噌はもともと農家が各家庭で食べるように作られていたことから、使う野菜や味つけは家庭やお店など作る人によって異なり、定番の食材に加えて大根や人参、茎わかめ、さらには同じく和歌山県の特産物である梅肉や柚子などを使った金山寺味噌もありバリエーションも非常に豊富です。保存も可能で常備菜として1年中食べることが出来るため、伝統のなめ味噌を常備して味噌とは違った風味や旨みを普段の食事に取り入れてみてはいかがでしょうか。

めはり寿司

和歌山県南部から三重県南部を指す熊野と呼ばれる地域には、世界遺産にも認定されている熊野三山や熊野古道があり、1000年以上も昔から多くの人が訪れています。そんな熊野地方には“めはり寿司”と呼ばれる郷土料理があり、山仕事や畑仕事、漁業の間に手軽に食べられる弁当として古くから親しまれてきました。寿司という名前がついていますがどちらかというと握り飯の方が近く、握ったごはんを塩や醤油で浅漬けにした高菜の葉でくるんでいるのが特徴です。一つで一食分になるよう、ソフトボールほどもある大きさで作った握り飯を崩れなくするために高菜の葉でくるんだのが始まりとなっており、ごはんと漬物が一体化しためはり寿司は完成度の高い弁当として重宝されてきました。その大きさや美味しさは「目を見開くほど大きな口を開けて食べる」 「目を見張るほど大きくて美味しい」と言われ、ここからめはり寿司という名前が付いたと言われています。高菜の葉に包まれた見た目のインパクトは十分にありますが、初めてでもどこか懐かしさを感じる味わいと高菜のシャキシャキとした食感が絶妙で、駅弁や空弁、さらにはコンビニでも販売されるなど地元の方はもちろんのこと、熊野地方に訪れる観光客の間でも人気が高いです。現在は食べやすいように小さめに作られているのがほとんどで、メイン料理のサイドメニューとして提供しているお店も多く見られます。

お米が貴重だった時代には麦飯を使い、具材も入れないというシンプルな組み合わせが一般的でしたが、現在は白米を使うのが定番となっており、お店などによっては酢飯を使うことも多いです。また、刻んだ高菜漬けの軸やじゃこなどを具材として入れたもの、ごま、鰹節、たくあんなどをごはんに混ぜ込で作るものなど組み合わせ方にも個性やこだわりが見られるめはり寿司が増えています。一番の特徴と言っていい高菜の葉は、日当たりが悪い場所でも栽培しやすい特性を持っており、熊野地方のように平地が少なく山の多い山間部でも栽培しやすかったことから、平安時代にはすでに栽培していたと言われるほど古くから親しまれています。県内では新宮市を中心に田辺市などで高菜が作られていますが、通常の根元から株ごと収穫する方法とは異なり、半年ほど高菜を植えっぱなしにして外側の葉から一枚ずつ収穫する特殊な方法を取り入れています。この収穫方法は非常に手間がかかりますが、手間と時間をかけることで大きく柔らかく育ち、成長途中の内側の葉もしっかりと育ったタイミングで収穫が出来るため、無駄なくめはり寿司に使うことが出来るのです。もともとは家庭料理として作られていたため、現在でも一般家庭で作られる機会は多く、若い人にも親しまれています。

和歌山県にはめはり寿司と同じように県内各地で発展していった寿司と呼ばれる郷土料理が他にもたくさんあり、寿司の原形となっている「なれ寿司」や熊野灘沿岸で食べられている「秋刀魚寿司」、奈良県吉野地方や奈良に近い北部で親しまれている「柿の葉寿司」、チャリコという小鯛を使った「雀寿司」、さらには「こけら寿司」 「はたごんぼずし」 「わさびずし」など似たような特徴を持っているものから全く違う特徴のものまでさまざまな寿司が食べられています。多種多様の「寿司」がある和歌山県ですが、特にめはり寿司は和歌山を代表する郷土料理の1つであり、駅やスーパーなど手軽に購入も出来るため、見かけた際にはぜひ手に取ってめはり寿司のどこか懐かしい風味や食感を楽しんでみて下さい。

クジラ料理

昭和45年前後まで学校給食の定番メニューとしても提供されていた“クジラ料理”は、商業捕鯨が規制されたことで食べる機会は減っていきました。しかし、和歌山県熊野灘周辺では古くから捕鯨が行われており、今でもクジラを食べる文化が残っています。クジラは皮、舌、赤肉、内臓、尾などあらゆる部位を食べることが出来、その部位や食べ方によってまったく違った印象を受けることも少なくありません。特に赤肉は背中からお腹にかけての部位となり、体が大きいこともあってクジラ一頭からはたくさんの赤肉を獲ることが出来ます。そのため、クジラ肉の代表的な部位として使われることが多く、定番料理としても人気が高い竜田揚げや刺身をはじめ、ステーキ、カツ、焼肉、鍋など使用用途も幅広いです。食感としては魚と肉の中間から少し肉寄りの弾力があり、火を通すとしっかりとした食感を感じられますが、刺身で食べると水分も多いことから馬刺しよりも柔らかく、マグロのような濃厚な味わいを楽しむことが出来ます。さらに、スジが入っていない綺麗な部分は高級肉として扱われ、きめが細かくより柔らかい食感を感じられるでしょう。牛や豚、鶏など普段食べ慣れている肉に比べると多少クセはありますが、鹿やイノシシといったジビエよりはクセが少なく柔らかいため食べやすいと言われています。

日本では縄文時代からクジラを食べる文化があり、残った骨は生活用具として使われていたなど古くから生活の一部として広く利用されてきた歴史があります。特に和歌山県の熊野灘では、繁殖活動をするために夏の終わりごろから移動してきたクジラが冬場にかけて通りかかることが多く、そのクジラを捕まえるようになったことが捕鯨の始まりとなっています。仏教が伝わると肉食が一般的には禁止となってしまったため、その際に魚と合わせてクジラもタンパク源として広く活用されていきました。室町時代には高級食材として扱われていたものの、江戸時代初期頃、紀南地域にある太地町で「古式捕鯨」という組織だった捕鯨を行うようになったことで庶民にまで広がり、より身近な食材へと変化していきました。そのため、和歌山県は捕鯨発祥の地としても有名なのです。明治に入り、肉食が解禁されたことや海外から牛肉が入ってくるようになったことで少しずつ肉を食べる機会は増えていきましたが、クジラは高タンパクで低脂質、鉄分などの栄養も豊富で安価で手に入ることから戦後の食糧難時にも非常に重宝され、給食に出されるなど貴重なタンパク源としてクジラを食べる文化は捕鯨が規制されるようになる昭和後期まで続いていきました。

特に赤肉はタンパク質や鉄分の他に、DHAやEPA、ビタミン、バレニンなどの栄養素が多く含まれており、脂質だけでなくカロリーも低いことから、筋トレやダイエットにも最適で健康や美容を意識している人からの注目度が高くなっています。ただし、赤肉は血が多いためマグロやカツオといった赤身魚や馬肉、魚の血合いが多い部分やレバーなどが好きな人は好みやすいですが、好き嫌いが分かれやすく、さらに、給食に使われていた時の硬い・クセがあるという印象から苦手意識がある人も多いです。しかし、和歌山県では鮮度の高いクジラが食べられる環境から、赤肉の印象が変わるだけでなく、食べられる部位も増えます。甘みや旨みが強くぷるぷるとした食感を持つ舌や厚みによって食感が変わる皮、コリコリやシャキッとした食感が楽しめる内臓、ゼラチン質が高く真っ白な見た目の尾羽など、赤肉とはまったく違った食感や特徴を持つクジラ肉が楽しめるのも和歌山県ならではの良さとなっています。捕鯨発祥の地である太地町を中心に熊野灘付近ではクジラ料理が食べられるお店が多く、調理方法や食べられる部位も多いため、現在の美味しいクジラ料理を味わってみてはいかがでしょうか。缶詰やベーコンなどの加工品も販売しているため、お土産にもおすすめですよ。

ごま豆腐

スーパーなど身近な場所でも購入出来る“ごま豆腐”は、ごま好きにはたまらない食べ物でもありますが、もともとは精進料理の1つであり、和歌山県で生まれた郷土料理でもあります。豆腐という名前がついていることや四角い形をしていることもあって豆腐の仲間と思われやすいですが、ごま豆腐には大豆は使われておらず、主にごまと葛から作られています。練りごまと水やだし汁で溶いた葛粉を混ぜ合わせて煮詰めて作るため、豆腐とは違った滑らかでもちもちとした食感やごまの香ばしい香りやコクを味わえるのが特徴です。料理などの食材として使われることは少なく、風味を楽しむためにそのまま食べることが一般的で、好みに合わせて醤油やわさび、酢味噌などをつけて食べます。また、さっぱりと食べたい時には冷たく、ごまの風味をしっかりと味わいたい場合には温めるなど、食べる際の味つけや温度によっても美味しさが変わるのも人気の秘訣となっています。食事として食べることが通常の食べ方になりますが、使われている原材料がシンプルであるため、黒蜜やきなこ、和三盆などをかけるとヘルシーな和風スイーツとしても食べることが出来るのです。近年は、初めから甘めに作られているもの、カカオパウダーや抹茶、キャラメルなどを加えるなどスイーツに特化した商品も多数販売されており、年齢やタイミング関係なく食べられる機会が増えています。

ごま豆腐は今から約1200年前、空海が和歌山県北部に開いた高野山において、その修行の中で食べる精進料理として作られたものになります。その当時、中国では薬として使われるほどごまの栄養価が高く、遣唐使として中国に渡った際に空海が持ち帰ったことをきっかけに日本でもごまが栽培されるようになりました。肉や魚を使わず、野菜と穀物などから作られる精進料理はタンパク質を摂取するのが難しかったため、良質なタンパク質を含むごまは大切なタンパク源として重宝されるようになったのです。後に、ごまの持つ栄養をさらに効率よく摂取する方法として考案されたのがごま豆腐であり、高野山をはじめとした寺院で精進料理には欠かせない料理となりました。一般的に作られているものに比べると高野山で作られるごま豆腐は少し製法が違い、ごまの皮を取り除いて白い芯の部分を使うのが特徴です。舌ざわりが滑らかになるまで手間をかけて丁寧にすり潰し、上質で希少な吉野本葛や吉野葛、さらに高野山麓の清水を使って作るため、白くてくちどけがよく、濃厚なのにあっさりとした味わいに仕上がります。高野山は山ではなくその一帯の地域の名称でもあるため、伝統的な製法でごま豆腐を作っている老舗がいくつかあり、なかには高野山奥にある院御廟の食事に現在もごま豆腐が使われているお店もあります。現地では質の高いごま豆腐を購入することが出来るだけでなく、店内で懐石料理やスイーツを食べられるお店もあるため高野山を訪れた際にはぜひ食べてもらいたい一品です。また、なかなか高野山まで行けないという場合には道の駅や百貨店、通販などで購入することも出来るため、市販のごま豆腐とは一味も二味も違う上品な風味と食感を堪能してみて下さい。