鹿児島県は世界遺産に認定されている屋久島や奄美大島をはじめ種子島、桜島、与論島など数々の自然豊かで美しい離島と本土から出来ている県であり、明治維新の立役者である西郷隆隆盛の出身地でもあります。また、温暖で降雨量も多い気候から日本1のさつまいも産地としても有名で、郷土料理や焼酎などさつまいもを使った食品も多いですが、食文化が豊かな県内には知名度・人気ともに高い特産物や特産品がまだまだたくさんあります。今回はそんな鹿児島県を代表する人気の特産物や特産品について紹介していきたいと思います。
さつま揚げ
そのまま食べても美味しい“さつま揚げ”は、おでんや煮物、炒め物などさまざまな料理の具材としても使え、日本全国どこででも購入することが出来る食品です。今や馴染み深い食べ物でもありますが、もとは鹿児島県で誕生し、県を代表する郷土料理であるということを知っていますか?さつま揚げはかまぼこなどと同じく練り製品の一種で、魚のすり身に豆腐・卵・調味料・地酒などを加え油で揚げて作られています。砂糖やみりんといった甘味料を使うため甘い味つけになるのが特徴で、原料となる魚のすり身にはイワシやアジ、トビウオ、キビナゴなどの魚を使うのが定番ですが、なかにはエソやハモといった高級魚が使われることもあります。また、人参やごぼうといった野菜、エビ・タコ・イカなどの魚介類、チーズや餅など多種多様の具材を加えて作ることも多く、棒状・団子状・丸型・四角など成型する形状も豊富であるため全体の種類が多いのも特徴です。あえて成型しない「ちぎり天」も存在し、使い方や食べ方だけでなく好みや気分に合わせて選ぶことが出来るのもさつま揚げのよさと言えるでしょう。
さつま揚げは江戸時代に誕生した古い歴史を持つ食べ物であり、島津斉彬(しまづなりあきら)が薩摩藩の藩主だった頃に生まれたとされています。当時薩摩は、中国文化の影響を受けていた琉球王国との交流が盛んで、その時に伝わった魚のすり身を油で揚げた「チキアギ」という琉球料理がさつま揚げの元祖と言われています。このチキアギという言葉が訛って薩摩では「つけあげ」と呼ばれるようになったため、現在も鹿児島県ではその名残としてつけあげと呼ばれることも多いのです。現在、全国的にはつけあげよりもさつま揚げという名称の方が浸透していますが、これは食用油が日常的に使われるようになり、薩摩で誕生したつけあげが全国に広まっていった際に、県外の人でも分かりやすいよう「薩摩名物の揚げ物」という意味合いから、江戸を中心にさつま揚げという名称で呼ばれるようになったためと言われています。さらに、全国へ広まり定着してからが長い食べ物でもあることから、地域ごとに親しまれている名称が違うのもおもしろいポイントであり、さつま揚げやつけあげの他には関西や四国を中心とした地域では「天ぷら」、名古屋では「半ぺい(はんぺい)」、広島では「あげはん」、そして「揚げかまぼこ」や「揚げもの」などと呼ぶ地域もあるのです。この他にもさつま揚げが誕生した経緯には諸説あると言われており、紀州はんぺんやかまぼこなどの製法を元に保存性の高い加工食品として作られたという説などもあります。古い歴史を持つさつま揚げだからこそ曖昧な点もありますが、鹿児島県だけでなく今や全国で広く愛されている郷土料理であるということは間違いありません。
甘みを感じられるため子供でも食べやすいさつま揚げですが、生姜醤油やからし、一味マヨネーズなどをつければあっという間にお酒のつまみに変身し、大根おろしやポン酢を使えば魚の旨みを感じつつさっぱりと食べられる1品に早変わり、ちょっとしたかさ増しから主役級までさまざまな使い方が出来る万能さも持ち合わせています。そして魚が原料であるため良質なタンパク質とカルシウムやマグネシウムなどの豊富な栄養素を含んでいることも魅力です。県内には鹿児島市を中心に海沿いにさつま揚げを販売しているお店が集まり、定番の種類から卵入りやレンコンで挟んだもの、枝豆やとうもろこしがこれでもかというくらいに入っているものなどインパクトのある種類も多いため、好みのさつま揚げを探すのも楽しいですよ。また、メーカーによっても甘みの強さや歯ごたえが変わってくるため、ぜひ食べ比べもしてみて下さい。
黒豚
鹿児島県を代表する畜産物として有名なのが黒豚です。黒豚は普段食べ慣れている白豚に比べると飼育期間が2か月ほど長いことから、筋肉の繊維が細かく肉質が締まっているため、柔らかくさっぱりとした味わいを感じられます。また、脂身の融点が低いことから口当たりがよいのも特徴で、臭みも少ないため豚肉の持つ特有のにおいが苦手な人でも食べやすいとされています。国内では埼玉県や群馬県、岡山県などでも黒豚を飼育していますが、特に鹿児島県の黒豚は別格とされるほど質が高いと評価されており、“かごしま黒豚”として国内に留まらず世界的にも有名なブランド豚として認知されているのです。もちろん黒豚の特徴である口当たりの良さや風味を持ちながら、旨みは白豚の3.7倍、甘みは6.7倍と他の黒豚よりも旨みや甘みが強く、水分量も多いためジューシーでより深みのある味わいや香り、そして歯切れが良く柔らかい肉質をしっかりと感じられることが評価として大きく影響しています。かごしま黒豚という名称は1999年に商標登録がされており、鹿児島県内で飼育・生産されたバークシャー種の豚であることが定義となっています。そしてもう一つかごしま黒豚の定義であり特徴でもあるのが特産物のさつまいもを餌に混ぜていることです。肥育の後期に甘しょ(さつまいも)を10~20%加えた餌を60日以上与えることが定義となっており、さつまいもを加えることで旨みや甘み、肉質が向上し、風味豊かな黒豚として育っていきます。
基本的に国内に出回っている豚肉は安価で量の確保が出来る白豚の割合がほとんどであるため、黒豚を飼育している県以外ではあまり馴染みの少ない種類ですが、黒豚の歴史は想像よりも古く、今から400年以上も昔の江戸時代初期に琉球から移入してきたのがはじまりです。県内に移入した後は長い年月をかけて飼育され、珍しさや質の高さから幕末になってようやく鹿児島県の黒豚として認知されるようになっていきました。品質の改良が行われたのは明治に入ってから、在来の黒豚にイギリスのバークシャー種が交配されたことで肉質や味わいが向上し、昭和には東京でその品質の高さから黒豚ブームが起こるほどにまで火をつけたのです。これを機に黒豚の認知がさらに広まり、鹿児島県産の黒豚は高品質という認識もされるようになりました。豚肉は今でこそ身近な食べ物ですが一時期は肉食の禁忌などもあり、一部の地域を除いて豚肉を食べる食習慣が取り入れられるようになったのは明治時代以降になります。そのため、鹿児島県において黒豚や豚肉は歴史の流れと共に進化し続け、評価され続けているからこそ質も人気も高いのです。はじめから持っているポテンシャルも高いですが、昭和中期に本格的に白豚が導入されるようになり、生産率の低い黒豚が絶滅の危機になってしまったことをきっかけに、より一層品質や美味しさに特化した黒豚を目指して研究を重ね、磨きをかけることに力を入れるようになりました。こうした生産者の努力から定義や餌にさつまいも加えるなどの改良が生まれ、戦争やデフレなどによる危機的状況に直面しながらも現在は確固たる地位を確立しています。農場によってはストレスがかからないような環境を整えたり、さつまいもと一緒に乳酸菌や黒麹菌なども餌に混ぜるなどさまざまな工夫が行われており、美味しさと質に繋がる努力がなくなることはありません。そのため、鹿児島県に訪れた際にはぜひかごしま黒豚を食べて味わいや食感の違いを体感してみて下さい。ガッツリと豚肉の食感を楽しみたいならとんかつ、柔らかい肉質と甘みや旨みを楽しみたいのであれば豚しゃぶで食べるのがおすすめです。
鶏飯
自然豊かで絶滅危惧種や固有種も生息している奄美大島で日常的に食べられている郷土料理が“鶏飯(けいはん)”です。鶏飯とは、ごはんにほぐした鶏肉と錦糸卵、しいたけ、パパイヤの味噌漬けなどの具材とネギ・海苔・みかんの皮・ごまといった薬味を乗せた後、熱々の鶏ガラスープをかけて食べるお茶漬けのような料理になります。鶏肉と鶏ガラスープから出てくる旨みと深みをしっかりと感じつつも、さっぱりとした味わいであるため、夏の暑い日など食欲の出ない時でもさらっと食べることが出来、南国特有の気候を持つ奄美大島の島民にとってはソウルフードとして親しまれています。家庭やお店によって提供の仕方や味つけ、地鶏を使うかなどの違いがありますが、特に決め手となるスープは鶏ガラを使うことが多いなかガラではなく丸鶏を煮て取ったスープを使うこともあり、スープの取り方によって味わいや香り、旨みの違いを感じることが出来るでしょう。基本的にはごはん・具材・薬味・スープは別々に器に盛りつけられ、自分で好きなように混ぜて食べるのが一般的となっていますが、提供時にはすでに具材もスープもかけた状態で提供するお店もあります。なかには具材などを別々に提供する方法とすでにかけた状態で提供する方法の両方を扱っていることがあり、その場合は前者を鶏飯、後者を鶏飯丼と呼び分けているお店もあるそうです。
鶏飯が誕生したのは奄美大島がまだ薩摩藩の支配下に置かれていた時代になります。鹿児島本土から訪れる役人をもてなすために作られるようになったのがはじまりで、豚肉の食文化が根付いていた鹿児島では非常に貴重であった鶏肉を余すことなく使っていたことからみてももてなし料理であったことが分かります。かつては鶏ではなくヤマシギやシロハラといった野鳥を使っていた時代もあると言われており、スープをごはんの上からかける文化もなかったため、当時は鶏の炊き込みごはんに近い食べ物として食べられていたとされています。現在のようにスープをかけるようなスタイルになったのは昭和に入ってからのことで、アレンジとして取り入れた食べ方が浸透して定番化していきました。昭和後期に皇太子・皇太子妃両殿下が来島した際には鶏飯が振舞われ、おかわりするほど美味しく好評だったことが話題となり、奄美大島を代表する郷土料理として人気が高まっていったと言われています。
おもてなしや祝い事の際にも作られる料理ですが、年間を通して食べられる家庭料理でもあるため、家庭で作る場合は鶏ガラスープの素や鶏肉のゆで汁を利用して簡易的にスープを作ることが多いです。島民から愛されているあまり、学校給食では人気メニューのカレーとトップを競うほど人気があり、定番のメニューなっています。現在は奄美大島だけでなく鹿児島市内にもこだわり鶏飯を提供する店舗や専門店も多く、中には創作系の鶏飯やごはんではなく中華麺を使ったラーメンタイプの鶏麺を提供しているお店もあります。また、メディアやSNSの影響から近年は鶏飯の人気が高まり、県外でも東京や大阪を中心に鹿児島料理や郷土料理を提供しているお店で食べることが出来ることや簡単に作れるレトルトタイプなどの商品も販売されているため、奄美大島で絶大な人気のある郷土料理に触れてみてはいかがでしょうか?
かるかん/かるかん饅頭
古くから鹿児島県を代表する銘菓として親しまれてきた“かるかん”は、しっとりふわふわとした食感と真っ白い見た目が特徴の和菓子になります。米粉の一種であるかるかん粉に砂糖と自然薯をたっぷり混ぜた生地を蒸して作るため、特徴のある不思議な食感が生まれ、かるかんの魅力にも繋がっているのです。かるかんと言えば中にこしあんの入った饅頭をイメージする人も多いですが、本来は生地のみで作られる棒羊羹やういろうのような細長い長方形をしたシンプルな和菓子であり、こしあん入りの丸い形をしたものは“かるかん饅頭”として呼び分けられています。しかし、どちらもベースとなる生地は同じであるためかるかんとして一括りされることも多く、近年は小分けしやすい饅頭タイプの方が一般的になってきていることから、お土産や贈答用にかるかんとして饅頭を購入する人も多いです。かるかんと言う可愛らしい名前の由来にはいくつも説がありますが、長方形の見た目が羊羹に似ていることもあり、軽い羊羹のようなお菓子という意味合いからかるかんと名付けられた説が最も有力とされています。そのため、漢字だと「軽羹」と書くのも納得の理由です。
今から300年以上も昔、かるかんは江戸時代の中期頃に薩摩藩で誕生したと言われており、保存食の研究のために招いた明石出身の菓子職人によって考案された説が有力とされています。しかし、誕生した当初が現在と同じ原料や形状だったのかについての記録が残っていないため、途中で改良された可能性も高いとされています。鹿児島県内にあるシラス台地には原料となる自然薯がたくさん自生していたことに加えて、奄美大島や沖縄が近く、砂糖が手に入りやすかった環境だったことが特産品として根付いていった理由となっています。今でこそ身近なお菓子ですが、江戸時代において非常に貴重品であった砂糖を使ったお菓子は献上品として扱われていたため、かるかんも殿様や貴族などの献上菓子として扱われていました。そのため、当時は庶民が簡単に口に出来るようなお菓子ではなく、献上菓子の他にも大名家の冠婚葬祭の席で食べられていた歴史があります。庶民に広まるようになったのは海外から製糖技術が導入され、砂糖の生産量が増えた明治時代に入ってからであり、当時の名残から県内では現在も冠婚葬祭の際に贈答用菓子として使うことも多いそうです。かるかんは和菓子であるため年間を通して食べることが出来ますが、多様な和菓子のなかでも自然薯を原料として使う種類は珍しく、旬のある野菜であるからこそ秋~冬の旬の時期に収穫された自然薯を使ったかるかんは、通常よりも粘りが強くて弾力があり、より豊かな風味を楽しむことが出来るのも面白い特徴となっています。
原料がシンプルなだけでなく作り方も単純で、かるかん粉や自然薯の代わりに同じ米粉である上新粉や山芋・大和芋に置き換えて作ることが出来るため家庭でも作られています。また、県内には江戸時代から続く老舗の和菓子店も多く、伝統の味を守り続けているかるかんをはじめ、桜あんや蜜柑あん、栗が包まれているもの、さつまいもや黒糖、緑茶などを使った種類など季節感のある色つきのかるかん饅頭も販売されているため、かるかんの素朴さとこしあんの入った饅頭の違いと一緒に季節限定の風味も味わって、鹿児島県の歴史を身近に感じてみて下さい。
しろくま(白熊・白くま)
“しろくま(白熊・白くま)”というアイスを知っているでしょうか?近年は全国のスーパーやコンビニなどでも販売していることが多く、カップタイプだけでなくバータイプなども販売しているため市販アイスの定番商品となりつつあります。ですが、しろくまはもともと鹿児島県で誕生した名物スイーツであり、れっきとした郷土料理でもあるのです。市販のものはラクトアイスやアイスミルクという表示がされているものもありますが、実際は氷菓の扱いとなるかき氷であり、削った氷の上から練乳をかけ、みかんやパイナップル、小豆、さくらんぼ、レーズン、寒天など色とりどりで豊富な種類のトッピングをしています。山盛りの白いかき氷とカラフルなトッピングが可愛らしく、上から見た時に白熊のように見えることから「しろくま」と呼ばれるようになりました。子供から大人まで幅広い年齢層から愛されているかき氷であり、喫茶店など夏が近づくと提供を始めるお店が多いことから、鹿児島県恒例の夏の風物詩でもあるのです。
しろくまの誕生には諸説あると言われていますが、第二次世界大戦直後に鹿児島市内にある喫茶店で誕生した説が有力とされており、喫茶店で提供された始めた当初は白砂糖から作る白蜜や原料がザラメの赤蜜をかけただけのシンプルなかき氷でした。その後、イチゴに牛乳をかける食べ方をヒントにし、練乳をかけてみるなどの試行錯誤や改良を続けた結果、さっぱりとしたミルク風味のシロップが使われるようになりました。真っ白な見た目に彩りを加えるためさまざまなトッピングをするようになり、当時一般的なかき氷が20円ほどで販売されていたのに対して50円と高値だったことと見た目の華やかさも相まって憧れの氷菓子として浸透していきました。人気が高まるにつれて提供するお店も増えていき、現在は市内の喫茶店やカフェ、茶寮など複数の店舗でしろくまを提供しています。練乳やミルクを使ったシロップにフルーツなどのトッピングをするのを定番としつつ、チョコレートや抹茶、ヨーグルトをベースにしたシロップを使ったしろくま、キウイやぶどう、バナナ、いちじくなどより多様なフルーツやアイスクリーム、プリンをトッピングしたボリュームのあるしろくま、写真映えを意識した可愛らしい見た目のしろくま、さらにはシロップもトッピングもマンゴーやバナナなど黄色のフルーツで飾り付けをした「黄熊(きぐま)」やドラゴンフルーツを使った「赤熊(あかぐま)」など、アレンジを加えたオリジナルのしろくまを提供しているお店も多いです。
ボリュームのある見た目とは反対に、フルーツなどのトッピングがされているため思っているよりもあっさりと完食してしまうのもしろくまの醍醐味でしょう。そのため、各メーカーから販売されている市販のしろくまもトッピングのバリエーションが多く、メーカーによる風味の違いも合わせると20種類以上のしろくまが販売されているのです。今や鹿児島県だけでなく日本全国でも浸透しつつあるため、ぜひ発祥の地である鹿児島県に訪れた際には本場のしろくまを思う存分堪能して、好みのしろくまを見つけてもらいたいです。