広島県尾道のお酢と歴史

尾道市は瀬戸内しまなみ海道の入り口で、近年サイクリングの聖地として人気を博する観光地として有名な市です。古くは北前船の着港地として栄えた歴史のある街です。サイクリングの聖地、歴史のある街として知られる尾道市ですが、お酢の醸造が盛んな地域でもあり、今も歴史ある醸造メーカーが存在します。今回は尾道のお酢の歴史について紹介をしたいと思います。

尾道が港町として栄えた歴史

お酢の歴史を説明する前に、少しだけ尾道が港町として発展した背景を簡単に説明します。

 尾道は1169年に大田庄(おおたのしょう)の倉敷敷地に指定されたことがきっかけです。大田庄とは尾道市から北へ約40kmにある現在の世羅町の東部から府中市上下町・三次市甲奴(こうぬ)町・同市吉舎(きさ)町の一部までまたがる広汎な地域を指します。その地域には当時年貢を船に積み込む港がありませんでした。尾道は瀬戸内海に面し、海流も穏やかで自然に港のような地形が形成されたことから、大田庄の年貢を船に積み込む港として指定されました。こうして、尾道が港町として発展を始めます。

 江戸時代に入る尾道は北前船の着港地としてさらに発展をします。北前船は北海道や東北から米や産品を積み込み、日本海側を通り下関を経由して大阪へと向かう船のことを指します。北前船が通る航路のことを西廻り航路と呼び、北前船が立ち寄る港町が発展していきました。北海道や東北で取れる米や産品を大阪に届けるだけでなく、商人が途中で立ち寄る港でその地域の産品と交換をしたり、乗組員が港で酒を飲み遊んだりして過ごす場所を提供するなど、各地の港町は発展をしました。尾道も北前船の立ち寄り港であり、さらに発展を続けます。

 特に尾道は石見国(現在の島根)にも銀山街道を通じてつながっており、内陸へのアクセスも良かったことから多くの商人が集まり、商売が盛んに行われ、北前船の着港地としても特に発展したのが尾道とされています。このような歴史的な背景があり、尾道は当時重要な港町として発展を続けていました。

尾道でお酢作りが始まる

 日本では5世紀頃からお酢が作られたと記録がされており、江戸時代には各地でお酢が作られていました。当時西日本では大阪の境でお酢が多く作られていましたが、当時の尾道の商人が堺からお酢作りの職人を招いたことがお酢作りが始まったきっかけとされています。

 その商人の名は灰屋橋本次郎右衛門であり、現在の尾道醸造(尾道醸造株式会社)の起源とされています。ではどうして、尾道でお酢の生産が盛んになったのでしょうか?

 まず1つ目の理由は原料にあります。尾道で作られるお酢は当時からお米を原料とした醸造酢が中心です。先ほど説明した通り、尾道には北前船によって東北や北海道のお米が多く運ばれてくることから原料となるお米の入手が容易であったこが理由です。特に尾道では秋田のお米が多く使用されていました。当時秋田のお米は品質こそ高いが、粒が小さく脱穀等の技術が不十分であったことから俵内に砂がまじり、食用としての価値が低かったそうです。そこに目をつけた商人たちが酢の原料として秋田のお米を積極的に仕入れ、お酢醸造者に卸していたされています。

 2つ目の理由は温暖な気候であったことが理由とされています。お酢は原料となるお米、米麹から発酵の力を利用して作られる調味料です。昔ながらの製造方法では急激な温度変化はお酢作りにとって好ましくなく、年間を通じて寒暖差が激しくない方が良いとされています(原料となる酒は冬に仕込むため冬の寒さは必要)。そのため現在も醸造メーカーの7割近くは西日本に存在してます。尾道は瀬戸内型気候に属し、年間平均気温は16度と比較的暖かく、雨も比較的少なく冬も寒くなりすぎず、年間を通じた温度変化が穏やかであるためお酢作りに適したという背景があります。

 3つ目は水です。尾道は岩倉の水と呼ばれる地下水の存在です。お酢を作る上で綺麗な水が必要となってきますが、尾道で取れる岩倉の水は綺麗なことはもちろんですが、さらにミネラルを豊富に含む地下水として知られています。ミネラルの量とおいしさが比例するわけではなく、成分の内訳が重要で、岩倉の水はカルシウム(やわらかさ)、カリウム(味の引き締め効果)の量が多く、一方で渋さやえぐみのもととなるマグネシウムが少ない傾向にあります。そのようなバランスの良い美味しい水が手に入る地域であったことから尾道のお酢は美味しいとされ、お酢作りが発展しました。

 北前船の着港地として海運航路の要所と言って良い尾道で作られる酢はそのまま船に乗り、北は北海道から南は九州まで広く発送され、朝鮮や満州など海外にも輸出されていたと記録されています。

 当時の尾道ではこの地域のお酢作りの発祥となる橋本次郎右衛門(尾道醸造)、杉田与次兵衛(現存)、恵谷卯太郎商店(昭和61年廃業)、稲田伊兵衛(昭和初期廃業)など多くの醸造会社が存在ました。現在は尾道醸造、杉田与次兵衛の2社となりましたが、今も尾道のお酢はブランドお酢として親しまれています。

関連記事