日本列島の中心に位置する富山県は日本海側でもあることから新鮮でおいしい海産物が多く、富山県の特産物やとしても有名です。他にも富山ブラックラーメンや氷見うどんといったソウルフード、ブランド野菜や特徴のある銘菓・伝統菓子なども多く海産物以外にも美味しいものがたくさんあります。今回は、そんな富山県の特産物の中でもお土産や知名度の高い代表的な特産物について紹介していきます。
シロエビ
透き通った淡いピンク色をしている“シロエビ”は富山県を代表する特産物の1つになります。県内にある富山湾や新湊沖で大量に漁獲されるシロエビは、体長が約5~8cmと小さめですが一般的な桜えびより一回り大きく、太陽の光で透明にキラキラ光る様子から「富山湾の宝石」とも呼ばれています。しかし、漁獲後は徐々に白く変化し、さらに時間が経つと少しずつ黒ずんでいきます。また、火を通しても赤くならず白いままという特徴も持っていることからシロエビ(シラエビ)と呼ばれているのです。そのため、透明感のある淡いピンク色をしたシロエビは非常に鮮度が高いと判断することが出来るでしょう。色に加えて上品で濃厚な甘さと豊かな香り、とろっとした食感を味わえるのも特徴であり、現在はその見た目や味わいから人気が高く、お寿司・刺身といった生食からかき揚げ・から揚げなどの揚げ物、さらにパスタ・ピザなどの具材などにも使われており、ジャンルを問わず幅広く食べられています。4月~11月まで漁が解禁され、夏に旬を迎えます。
富山県でのシロエビ漁は明治初期から始まっています。シロエビは水深150~300m辺りの海底深くに生息する生物であるため通常の漁では見かけることがありませんでしたが、漁の最中に誤って海底まで網を落としたところ引っ掛かり、それがきっかけとなってシロエビ漁が始まりました。シロエビ自体は日本近海を中心に相模湾や駿河湾、糸魚川沖など日本全国に広く生息していますが、漁として成り立つほど大量にシロエビが獲れるのは富山県だけであるため、全国的に見ても希少価値の高い海産物となっているのです。以前はみそ汁や澄まし汁などの汁物のダシとして使われることが多かったですが、これはシロエビが小さく殻を剥くのに時間がかかることが影響していました。しかし、一度冷凍させると殻が向きやすいということに気づいてからは最新の冷凍技術を取り入れ、シロエビのむき身が生食としても食べられるようになりました。このむき身の評判が非常によく、全国に認知されるきっかけにもなっています。また、冷凍技術は全国に新鮮なシロエビを配送するためにも使われるようになり、富山県周辺でしか手に入らなかったシロエビの流通が出来るようにもなりました。シロエビは風味がよいため、料理だけでなくせんべい・スナック菓子といったお菓子やお茶漬けのもと、万能調味料、昆布締め、佃煮、さらにはレトルトカレーやラーメンなど加工品の種類も多いです。お土産としても人気の高いものばかりであるため、富山県を訪れた際には美味しいシロエビ料理を堪能しつつシロエビを使った加工品にもぜひ注目してみて下さい。
寒ブリ/ぶり料理
ブリは成長に伴って名前が変わる出世魚として認知されており、大きさや地域によっても名称が変わります。長崎県や北海道、石川県を中心に日本全国で広く漁獲されており、鹿児島県や愛媛県などでは養殖も盛んであるため富山県のブリの漁獲量自体は上位ではありませんが、ブリの中でも最高級とされている“寒ブリ”が水揚げされる場所として有名です。寒ブリとは一般的なブリと違い、11月~2月に水揚げされることが多い脂と旨みがたっぷりとつまったブリのことになります。北海道から九州までを往復する回遊魚であるブリは、秋ごろから産卵に向けてたくさんエサを食べて栄養を蓄えるため一般的なブリよりも脂が多く、お腹から背中までしっかりとのっているのが特徴です。また、冬場の冷たい海を長距離泳ぐため身が締まり、脂がのっていながらも身がしっかり締まった美味しい寒ブリに成長します。こうした季節や環境によって生まれる寒ブリは全国に名産地がいくつかあり、新潟県の佐渡湾や能登半島なども有名どころとして挙げられますが、なかでも美味しいと有名なのが県内の富山湾にある氷見漁港になります。氷見漁港で水揚げされる寒ブリは特に脂のノリがよいと評判であることからブランド化され「ひみ寒ブリ」として認知されているのです。
ひみ寒ブリは品質の高さから東京の市場などでも高値で取引されており、程よい弾力と脂のとろけるような食感、旨みや甘みを感じられるのが特徴になりますが、この品質の高さは氷見漁港の位置とひみ寒ブリと認定するための3つの条件も大きく関係しています。ブリは産卵のために北海道から南下し、能登半島を過ぎたあたりから少しずつ体に蓄えた脂が減っていくのですが、ちょうど真ん中あたりに位置する氷見漁港で水揚げされるブリは脂が減る前の1番体内に蓄えられた状態となっているのです。さらにひみ寒ブリと名乗るには、「富山湾の定置網で漁獲されたもの・氷見漁港で競られたもの・身が太く6㎏以上である」という3つの条件をクリアしていないといけません。こうした条件をクリアしていることも質の高さに繋がり、1尾ずつに販売証明書をつけて日本各地のみならず海外にも出荷されています。食感や風味をダイレクトに味わえる刺身や富山県の郷土料理であるブリ大根も人気の高いブリ料理になりますが、ひみ寒ブリをより美味しく食べるためにおすすめなのが“ぶりしゃぶ”になります。出汁にくぐらせることで適度にブリの脂が落ちて旨みが凝縮するため、ぶりしゃぶでしか味わえない食感や風味を楽しむことが出来ます。また、ポン酢や大根おろしとの相性がよくさっぱりと食べられるのも人気の秘訣となっています。ブリの中でも最高級であり質の高いひみ寒ブリは、季節が限られることも重なり価格は少々高めではありますが、冬の限られた時期でしか食べられないからこそより寒ブリの美味しさを感じられるでしょう。県内には氷見漁港や富山駅周辺を中心に飲食店や旅館などでひみ寒ブリを食べられるため、冬の富山県でしか味わうことの出来ない美味しさを堪能してもらいたいです。
ます寿司
サクラマスと呼ばれるヤマメが成長した魚を使った富山県の歴史ある郷土料理が“ます寿司”です。鱒寿司・ます寿し・ますの寿しなど読み方や書き方にいくつか違いが見られますが、すべて同じものであり、塩漬けしたサクラマスと酢飯を使ったシンプルな押し寿司になります。マスと酢飯の食感のバランスがよく、県内でも最も有名とされている郷土料理であるため専門店もいくつかあり、塩気が強いものから甘みの強いもの、酸味があるもの、あっさりしている、まろやかであるなど味わいや製法、ごはんの炊き方などがお店によって変わるのも特徴です。そのため、地元ではお気に入りのお店を持っている家庭も多く、県民からは広く親しまれ愛されています。一般的な押し寿司に比べると丸い形をしているのが定番で、ケーキのように切り分けて食べるのもます寿司の特徴となっています。
ます寿司の歴史は非常に古く、起源としては1000年以上も前になります。平安時代には、朝廷へます寿司の原形となる鮭鮨(さけずし)が献上されていたと言われており、酢のない当時は米と魚と塩を長時間発酵させたなれずしという形で鮭鮨を作っていましたが、室町時代に入ると県内でマスを保存するために酢を使うようになります。さらに、古くから魚が名産であった富山県では江戸時代に塩漬けにしたアユやマスを使って押し寿司を作り、藩主や将軍に献上したことで現在のます寿司という形が少しずつ作られていったのです。もともとは献上品であったことから、庶民が食べられるようなものではありませんでしたが、地元の川魚を扱う料亭が提供したことをきっかけに明治初期頃から少しずつ庶民の間でも食べられるようになりました。その後、大正時代にます寿司を駅弁として販売すると、その美味しさは瞬く間に全国にまで広まったため、ます寿司=駅弁というイメージも強くなっていきました。富山県の時代の流れとともに変化し根付いてきたます寿司であるからこそ、地元の方からも広く愛されているのです。基本的には丸い形をした木製のワッパに笹を敷き、そこに塩漬けをしたマスの切り身と酢飯を重ねて作っていくため出来上がった形も丸くなり、食べる際に自分でカットするのが醍醐味ではありますが、お店によっては長方形や正方形で作られるタイプ、また、食べやすいようにすでにカットされているものもあり、風味以外にもお店や職人のこだわりが見られるでしょう。駅弁として販売されるようになってからだけでも100年以上の歴史を持っているため、富山県の歴史を感じながら食べ比べて自分好みのます寿司を探してみてはいかがでしょうか。
とろろ昆布
“とろろ昆布”とは酢漬けにした昆布を何枚も重ね、束にした昆布の表面を削って作られています。絹糸のような繊細な見た目とふわっとした食感が特徴となり、削る部分が内側に行くほど黒っぽい色から白色へと変化していきます。軽い食感と旨みを持つとろろ昆布はみそ汁やうどんなどのトッピングとして使うことが多いですが、富山県ではおにぎりの海苔の代わりにとろろ昆布を使うのが定番であることから、県内ではとろろ昆布を常備している家庭も多く、ソウルフードとして日常的に食べていることも多いです。また、色によっても風味が違い、表面の部分にあたる黒いとろろ昆布は酸味が強く、内側部分の白いとろろ昆布は柔らかく酸味が控えめであるため、料理や好みによって使い分けることもよくあります。そもそも昆布の生産量は9割が北海道であり、後の1割も東北が占めているため県内ではほとんど採れないにもかかわらず、富山県ではとろろ昆布や昆布の一世帯あたりの消費量が非常に高いです。その消費量は1960年から60年近く続けて全国1位を維持しており、近年は他県に譲るものの変わらず常に上位には入っています。
富山県に昆布がここまで浸透しているのは歴史が大きく関係しています。江戸時代に北前船(きたまえぶね)と呼ばれる商船が北海道と大阪を往復し各地の特産品を輸送していた際、富山県では北海道産の昆布を大量に購入していました。富山県で仕入れた昆布は各地で売りさばくだけでなく、売薬商人を介して薩摩から琉球へ、そして中国にまで流通していったのです。さらに、明治時代には富山県から北海道へ出稼ぎする人が増え、移り住んだ人が家族や親戚に昆布を送ったり、お土産として持ち帰ることが多くなったため、徐々に県内では昆布を食べる食習慣が根付いていったのです。特にとろろ昆布は、昆布よりも手軽に旨みが味わえる・出汁として使えるため、即席のお吸い物などにも重宝されるようになったことがより身近な存在へと変化していくきっかけとなりました。昆布締めや昆布巻きなどダシを取る以外にも県内では昆布を使った料理を食べる機会が多いですが、とろろ昆布はごはんにかける・料理に加えるなど使い勝手のよさと手軽さが県内のとろろ昆布自体の消費量に大きく影響しています。そのため、地元のスーパーなどでは豊富な種類のとろろ昆布を取り扱っているお店が多く、また、コンビニではとろろ昆布のおにぎりが販売されているなど、富山県ならではの食文化を感じられることが多いでしょう。お土産としても重宝されているため、富山県に訪れた際にはスーパーやコンビニにも足を延ばしてみるのもおすすめです。
巻きかまぼこ/細工かまぼこ
かまぼこといえば木の板に白やピンク色をした魚のすり身が乗った板付きかまぼこが一般的ですが、富山県には少し変わったかまぼこが特産品となっています。それが“巻きかまぼこ”です。板は使わず、板状に伸ばした魚のすり身を伊達巻のようにくるくるっと巻いて蒸すため、切った時の断面にナルトのような渦巻が出来るのが特徴です。さらに、表面だけを赤色や水色、黄色などに着色したすり身を使う「色巻きかまぼこ」は、より渦の模様がはっきりと出るため、色鮮やかで美しい巻きかまぼことして重宝されています。もともと江戸時代に県内で始まったかまぼこ作りですが、富山県の食文化として深く根付いている昆布にすり身をのせ、昆布の味や旨みが全体に行き渡るように巻いて作ったのが巻きかまぼこの始まりとなっています。この「昆布巻きかまぼこ」を起源として作られたのが色巻きかまぼこがになり、弾力がある板かまぼこに比べるとふわっと柔らかい食感を味わえるのも特徴となっています。食感や見た目の違いから県内では板かまぼこを販売してもほとんど売れないと言われるほど巻きかまぼこは馴染み深い存在でもあるのです。
独自の文化から生まれた富山県のかまぼこですが、もう1つ富山県ならではの個性豊かなかまぼこがあります。それが“細工かまぼこ”です。他県にも細工かまぼこはあり、模様が彫られたものや文字・絵が描かれたもの、季節を感じられる見た目のものなどがありますが、富山県の独自に進化した細工かまぼこは非常に華やかで見た目が楽しいものばかりなのも特徴となっています。色をつけたすり身を鯛・鶴・亀・富士山・宝船・松竹梅などの縁起物に成形して作られており、婚礼やお祝い事の際の定番品として使われています。どれも1つずつ職人が手作りで作っているため、色鮮やかでありながら非常に細かい技術が詰まっており、小さいものから大きいものまでさまざまな大きさが用意されています。これは昔、縁起物の鯛が不足した際にかまぼこを代用して使ったということが起源になっており、日持ちすることから引き出物などに使われるようになると、華やかな見た目から近所にもおすそ分けをするのが定番となっていきました。
大きさのあるものは切り分けて配っていたそうですが、そういった付き合いも時代の流れから徐々に少なくなっていき、大きいサイズのものよりも小さいサイズのものが重宝されるようになったそうです。しかし、現在でも細工かまぼこを使うことは多く、婚礼以外にも誕生日やバレンタインなど使用用途の幅が広がっていることから、形や大きさ、絵柄などのバリエーションも増え、時代の変化とともに細工かまぼこの進化も進んでいます。近年は、猫やフルーツの形をした細工かまぼこも販売されており、昆布巻きかまぼこや色巻きかまぼこなどと一緒にお土産やギフトとして購入する人が増えているそうです。巻きかまぼこは料理に使うと昆布のダシが出ることや見た目が華やかになることから自宅用のお土産として人気が高く、細工かまぼこはお店や職人によって形やデザイン、絵柄などの雰囲気が変わるのも特徴であるため、手に取ってみるとよりその細かさが伝わるでしょう。工場見学や体験を行っているメーカーもあるため、富山県でしか作られていない個性豊かなかまぼこに直接触れてみて下さい。