奈良 食文化を支える奈良県の伝統的な郷土料理と特産品

大阪や京都、三重県などに囲まれた奈良県は、内陸県ではあるものの自然が豊かであると同時に、世界遺産にも登録されている東大寺や法隆寺、春日大社などの歴史的建造物や国宝、文化にも恵まれた県になります。日本のはじまりの地としても知られており、日本の歴史を語るには欠かすことの出来ない県であるため、日本の食文化のルーツや歴史に関係する食べ物も多く、シンプルで非常に古い歴史を持つ郷土料理や特産物がいくつもあります。今回は、そんな日本の歴史を感じられる奈良県の郷土料理を中心に紹介したいと思います。

奈良漬

奈良県の代表的な特産品といえば“奈良漬”です。べっ甲色や濃い茶色をした奈良漬は、野菜を塩漬けにした後、酒粕に複数回漬け込み、熟成させることで特徴的な色合いや風味を作り出しています。熟成期間は1ヶ月から半年と短いものもあれば5年以上と長期間かけて熟成させているものまで多岐に渡り、酒粕に含まれる糖質やアミノ酸がメラノイジンという物質に変化することで奈良漬らしい色や日本酒を感じる深みのある香り、お米の旨みや甘みなどを楽しむことが出来ます。塩気があるため、酒のつまみやごはんのお供にするのが定番の食べ方になりますが、熟成期間の長さや製法によっては濃い・塩辛いといった印象を感じる人も多く、また、酒粕を使っていることやJAS規格で奈良漬のアルコール分は3.5%以上と定められていることなどからアルコール成分が含まれているため、特にお酒が苦手な方や未成年の方はクセを感じやすいです。好き嫌いが分かれやすい漬物ではありますが、使う食材や作り手、熟成期間などによっては味わいや香りが大きく異なり、なかには塩気やアルコール感が少なく甘みを感じやすいもの、甘みと塩気のバランスが良いものなど食べやすい奈良漬もあります。反対に、より複雑な風味を感じられる奈良漬もあるため、味わいだけでなく非常に奥が深いのも奈良漬の大きな魅力と言ってよいでしょう。

奈良漬は奈良県で生まれた伝統的な食べ物であり、その歴史は非常に古く、今から1300年以上も前の奈良時代にまで遡ります。当時のことが記載されている文書などによると、はじめは奈良漬ではなく酒の粕漬けと呼ばれており、お酒としてどぶろくの上澄みを飲んだ後、底に沈殿した残り粕に瓜や生姜などの食材を漬け込んで保存食にしていたのが起源となっています。この頃、お酒は国の役所で醸造されていた貴重品であったため、副産物である粕漬も高級品として貴族などの上流階級の間でしか食べることが出来ませんでした。室町時代に入って本格的に清酒造りが行われるようになったことで酒粕を活用する機会が増え、次第に粕漬は庶民にも親しまれるようになっていきました。しかし、奈良県では全国的に清酒造りが始まる前から県内の寺院で日本酒の総称である「僧坊酒」が造られており、この僧坊酒の醸造技術が清酒造りにも大きく影響しているのです。そのため、室町時代以降奈良県は全国から酒どころとしても認知されるようになり、奈良県を訪れた旅人に振舞われた粕漬は少しずつ奈良漬として広まっていきました。また、江戸時代前後に、県内の医者がシロウリの粕漬を奈良漬として販売するようになったことでさらに認知度が広がったこと、瓜や生姜以外にも茄子・きゅうり・すいか・すももなど多種多様の野菜や果物が使われていたことなどが人気を集めるきっかけとなり、奈良漬は奈良県の名物として浸透していきました。

酒粕に包まれた奈良漬は、キッチンペーパーなどで拭き取ってから食べるのが基本ですが、独特な香りやアルコール感が苦手な場合は水で洗い流してから食べることも可能です。食べやすい大きさに切った奈良漬はごはんやお酒と一緒にそのまま食べるのが定番ですが、風味が強いことから細かく刻んでクリームチーズと混ぜる、サラダや卵焼きなどの具材として使うなどアレンジ力が高く、相性も良いです。また、残った酒粕には酵素の力やうまみ成分が豊富に含まれていることから、肉や魚を一夜漬けにして調理をすると肉質や身を柔らかくし、素材の旨みも引き出してくれるため一味違った美味しさを味わえる万能調味料としても使うことが出来ます。さらに、乳酸菌やビタミン、ミネラルなどの栄養素も豊富に含んでおり、抗酸化作用や腸内環境の改善など身体にも非常に嬉しい効果をたくさんもたらしてくれるため、好みの味わいや食材、食べ方を見つけて奈良漬を美味しく味わってみてはいかがでしょうか。

茶粥・茶飯

消化が良く内臓にも優しいお粥は、風邪など体調を崩した時にも重宝される料理ですが、水分量の多さや味つけの仕方で美味しさや食感が変わり、近年は中華粥や台湾粥など出汁の旨みが強くしっかりとした味わいを楽しめるお粥の人気が高くなっています。通常の食事として取り入れることが増えているお粥ですが、日本にも古くから日常的に食べられていた“茶粥”という種類のお粥があるのをご存じでしょうか。茶粥とは、お茶を使って作られるお粥の総称であり、シンプルですがお茶の香ばしい香りやしっかりと味がついていることなどによって風味が豊かで満足感を味わいやすくなっています。関西や中国・四国地方など西日本を中心に食べられており、地域によって使うお茶の種類や味つけ、具材、調理方法なども少しずつ違いますが、なかでも特に古い歴史を持っているのが奈良県の茶粥になります。奈良県では、主にほうじ茶を使い粘りが出ないように炊き上げるため、茶色い見た目と香ばしい香り、さらさらとしているのが大きな特徴です。県内の中央に位置する吉野地方では親しみを込めて呼んでいたおかゆさんが訛って「おかいさん」という愛称で古くから親しまれています。

茶粥は1200年以上の歴史があると言われるほど古くから奈良県で食べられている料理であり、文献によっては聖武天皇の時代から食べられているとも言われています。もともと寺院で僧侶たちが食べていたものが庶民にまで広がったことで家庭でも作られるようになり「大和の朝は茶粥で明ける」と言わるほど定番の朝ごはんとして食べられていました。かつての大和では夜にごはんを炊くことが多く、翌朝、冷たくなったごはんを温かく食べる方法として茶粥が広まったとされています。そのため、冷ごはんを使って作るのが一般的となっており、この調理方法を「入れお粥」、冷ごはんではなくお米から炊く茶粥を「揚げ茶粥」と呼び分けています。腹持ちをよくするために好みで餅やおかき、季節によってはさつまいもや栗、そら豆などを入れて食べることもあり、また、夏の暑い日には冷たくして食べるなどの工夫も見られることから日常的に食べられていたのが分かります。しかし、奈良で親しまれていた茶粥は基本的に熱くて塩分も多めだったため、胃潰瘍や胃がん、食道がんのリスクが高まるという説から昭和中期頃に茶粥の廃止が呼びかけられました。さらに、食生活や嗜好の変化なども加わり、昔のように日常的に食べることは減ってしまいましたが、今でもその文化は受け継がれ、郷土料理を扱う飲食店やカフェ、ホテルの朝食などで提供されています。

また、奈良県では茶粥の他に“奈良茶飯”という混ぜご飯があり、お米に大豆や小豆、栗などの雑穀を加えて、煎茶やほうじ茶、塩などの調味料を一緒に炊き込みます。茶飯も茶粥と同じような歴史を持っており、東大寺二月堂で752年から毎年3月に行われる「お水取り」という伝統行事では、茶粥と茶飯の原点となった「ごぼ」「あげ茶」が献立に使われています。しかし、茶飯は茶粥のように県内の庶民には広まらず、茶飯を気に入った旅人によって先に江戸で広まり、手軽に食べられることから人気が高まりました。外食産業の礎になった江戸周辺の飲食店には奈良茶飯の店も多く、全国的に知名度が上がったことで明治時代以降に奈良県でも広まった経緯を持つおもしろい郷土料理です。栄養価が高いことや現代の人でも食べやすいことなどから県内では学校の給食にも取り入れられています。はじまりやお茶を使う点は似ていても、経緯や特徴がまったく異なる2つの伝統料理は1200年以上奈良県の食文化を支えてきました。どちらも市内の飲食店を中心に食べることが出来ますが、自宅でも簡単に作ることが出来るため、お茶の香ばしい香りと一緒に茶粥・茶飯でしか味わえない美味しさを楽しんでみて下さい。

柿の葉寿司

お土産や駅弁などでも人気の高い“柿の葉寿司”は、鯖や鮭などを使った一口大の押し寿司を柿の葉で包んだ奈良県の郷土料理です。塩味の効いた魚と甘酸っぱい酢飯の相性がよく、ほんのりと香る柿の葉の香りが合わさることで食欲がそそられます。また、柿の葉にはタンニンやビタミンCなどの成分が含まれており、抗菌・抗酸化作用や防腐効果が優れているため日持ちするのも特徴となっています。奈良県以外にも和歌山県や鳥取県、石川県などでも柿の葉寿司は作られ親しまれているため、発祥については諸説ありますが、山に囲まれた奈良県吉野地方で物流や冷凍技術のない時代に貴重な魚を保存するための方法として作り出されたというのが有力と言われています。一般的な押し寿司は押すのに数十分から数時間と比較的短い時間で作られますが、柿の葉寿司は半日から一晩と押す時間が長めであるのも特徴であり、十分に押しを効かせることで具材と酢飯が馴染んで魚の旨みや塩気、さらに柿の葉の香りも一緒味わうことが出来るのです。

奈良県で柿の葉寿司を食べるようになったのは江戸時代になります。近くに海がなく山々に囲まれた奈良県では海産物が手に入りづらかったため、紀州熊野灘で獲れた海産物が奈良に運ばれてくるまでに2~3日はかかったと言われています。その際に魚が傷まないよう水揚げ後はすぐに塩漬けされ、運ばれて来る頃にはしっかりと塩分が魚に染み込んでいたそうです。そのまま食べるには塩辛くて食べづらかったこともあり、薄く切ってごはんと一緒に食べるようになったのが柿の葉寿司の始まりとなっています。当時は、寿司の原形となっているなれずしが主流で、塩漬けにした魚とごはんを発酵させてお祭りなどの日にご馳走として食べられていました。そのうち、江戸で酢飯を使った早ずしが広まると奈良県でも酢飯を使うようになり、現在の柿の葉寿司へと変化していったと言われています。関東では握り寿司が主流となりましたが、関西では押し寿司が主流となったため、西日本の郷土料理には形や具材の違う押し寿司が多数存在しており、富山県のます寿司など同じ時期に似たような理由で生まれた種類もいくつかあります。

日本には郷土料理を中心に笹団子や柏餅、ちまきなど植物の葉でごはんや寿司を包んだ食べ物がたくさんあり、柿の葉寿司もその一つになります。さまざまな植物の葉が使われているなかで、なぜ奈良県では柿の葉を使うようになったのでしょうか。古くから奈良県の気候や風土は柿を栽培するのに適しており、全国でも有数の柿の産地となっています。そのため、昔から柿の木が多く、葉も手に入れやすかったという理由から柿の葉を使うようになったと言われています。通常の柿の葉寿司は、初夏の時期に収穫した葉を塩漬けにして使用していますが、季節によってより鮮やかで香りの高い新葉や秋の紅葉を感じられる赤く色づいた葉を使った柿の葉寿司も期間限定で販売されており、季節の移り変わりや通常とは違った特別感を感じられるため、毎年販売後にはすぐに売り切れてしまうほど人気が高いです。柿の葉寿司の具材には鯖や鮭の他に、鯛、エビ、あなごなどの海産物が中心となっていますが、近年はローストビーフや鴨肉など今までにはない新しい具材を使った種類も増えており、また、家庭で作る場合にはシイタケやたけのこ、大根といった野菜なども使うことから、バリエーションが豊富であることも大きな魅力です。柿の葉の鮮やかな見た目と香り、広げた時に初めて分かる具材のワクワク感は柿の葉寿司でしか味わえないため、奈良県を訪れた際にはぜひ柿の葉寿司を食べてみて下さい。県内では端午の節句頃から7月にかけて柿の葉ではなく朴の葉を使った朴の葉寿司も作られており、柿の葉寿司とは違う味わいや香りを楽しむことが出来るためそちらもおすすめです。

三輪そうめん

夏の暑い日や食欲のない時に食べたくなるそうめんは、中国で発祥した索餅(さくべい)が奈良時代に日本に伝わり、少しずつ変化したことで馴染みのある麺状になったと言われています。全国各地には播州そうめんや和泉そうめんなどその土地の環境や原料、製法から作られているそうめんがいくつもあり、食感や風味といった特徴も異なってきますが、その中でも特に古い歴史を持っているのが“三輪そうめん”です。三輪そうめんは奈良県桜井市を中心とした三輪地方で作られている手延べそうめんであり、一般的なそうめんよりも非常に細いですがコシが強くてのどごしが良く、なめらかな口当たりを感じられるのが大きな特徴です。三輪地方は中国から入ってきた索餅が最初に伝わった地でもあるため、その歴史は1300年以上あると言われています。艶やかな光沢を持つ三輪そうめんは細ければ細いほど高級品と言われており、細さや製法、製造期間などの規定をクリアしたものを4つの等級に分けています。伝統的な製法で作られたものは細い順に等級が高く、上から「神杉(かみすぎ)・緒環(おだまき)・瑞垣(みずがき)・誉(ほまれ)」という種類に分けられ、鳥居の印がついた帯の色も金や黒とランクによって色が異なっています。さらに、製造してから1年以上熟成させたものを「古物(ひねもの)」2年以上を「大古(おおひね)」と呼び、よりコシが強く豊かな風味を感じられるため食通の間や贈呈品としての人気も高いです。細さと合わせて熟成期間の長さも三輪そうめんを選択する際のポイントとなっていますが、近年はメーカー独自で生産するそうめんの方が細いもの増えており、等級外の名称であってもより細く上質なそうめんを扱っている場合があります。

そうめんは湿気を嫌うため、寒さが厳しく乾燥した冬に作られており、気温が低く乾燥しているからこそ麺に含まれる水分を素早く飛ばし、特有のコシを作り出しています。さらに、三輪そうめんは完成させるまでに2日かけているのが特徴で、ウマシという熟成工程を何度も挟みながら生地を作るのに1日、糸状に長く引き伸ばし乾燥させてそうめんとして完成させるまでに1日かけています。完成後はすぐに出荷されるものもあればそこからさらに熟成させるものもあり、小麦の風味を感じやすい新物とコシの強い古物・大古へと分けられているのです。冬場にそうめんが盛んに作られるようになったのは、湿気を嫌う特徴に加えて農業が落ちつき収入が減ってしまう冬場の仕事として選ばれたのも理由となっています。奈良県に索餅が伝わった後、小麦の栽培に適していた三輪地方では小麦作りが始まり索餅を作っていましたが、伸びがよかったこともあり糸状に引き伸ばしたことでそうめんが誕生しました。三輪そうめんの美味しさはお伊勢参りへ行く途中で三輪地方を訪れた人達の間で話題となり、美味しさと一緒に手延べの製法も兵庫県や香川県など西日本を中心に広がっていきました。その後、東日本にも広まり日本を代表する伝統食の一つとなったため、奈良県三輪地方がそうめん発祥の地とされているのです。三輪そうめんののどごしやコシの強さをダイレクトに味わう場合は冷やして食べるのがおすすめですが、伸びにくく煮崩れもしにくいため温かいにゅうめんや炒めるなど幅ひろい調理に使うことが出来ます。細さや等級の違いによって食感や美味しさが変わりますが、和食だけでなくイタリアンや中華、カレーなどさまざまな料理との相性も良く使い勝手も良いため、多様な角度から三輪そうめんの美味しさも感じてもらいたいです。

葛餅・わらび餅

葛粉から作られる“葛餅”は透明な見た目とつるっとプルプルした食感が楽しめる奈良県の伝統的な和菓子です。葛粉と水、砂糖を半透明になるまで火にかけながら練り、冷水などで粗熱を取って作られる葛餅は、きな粉や黒蜜をかけて食べるのが一般的な食べ方となります。また、出来立てのものは内側がまだ少し温かく、ふわふわもちもちとした別の食感を楽しむことが出来るのも醍醐味となっています。関西を中心に日本全国でも広く食べられていますが、関東では主にくず餅という乳白色をした三角形の和菓子のことを指すことが多く、名前の響きから葛餅と同じものと認識されやすいですが、葛粉ではなく小麦粉から作られるうき粉を使っているため、本来の葛餅とは別の和菓子になります。名前や食べ方はほとんど同じですが原料や製法、特徴も異なるため、葛粉を使っているものを葛餅、うき粉を使っているものをくず餅・久寿餅と表記を分けています。

葛粉の原料となる葛はマメ科の多年草であるため全国に分布していますが、奈良県が古代大和と呼ばれていた時代、吉野地方に住んでいた国栖人(くずびと)が葛を粉末状にして売り始めたことから「葛」と名付けられたと言われています。吉野地方は良質な水源に恵まれていたことや寒冷地といった環境から質の良い葛が自生しており、根は漢方薬、葉は家畜の飼料、つるは布の繊維、さらに花は二日酔いの薬など日常生活においてさまざまな場面で余すことなく活用されてきました。葛粉として活用するようになったのは江戸時代中期以降ですが、朝廷に献上し評価されるほど品質が高かったため食文化として根付いていきました。吉野で採れる葛の根を吉野晒(よしのざらし)という伝統的な製法で精製し、100%吉野の葛でんぷんが使われている葛粉を「吉野本葛」と言いますが、冬の地下水を使って何度も精製し長期間乾燥させる工程は非常に手間も時間も労力もかかるうえに、職人も減少していることから現在は希少なものとされています。100%ではなくても吉野の葛が50%以上使われているものは「吉野葛」と呼ばれており、ジャガイモやサツマイモといった葛以外のでんぷんが混ざっているものが多い一般的な葛粉に対して、吉野地方やその近隣で製造・精製されたものだけが吉野の名をつけることが出来るのです。

葛餅よりもさらに親しみのある“わらび餅”も実は奈良県発祥の和菓子となっています。弾力がありながらも柔らかく、くちどけの良さと優しい甘さが人気の秘訣でもあります。わらび餅は原料が違うだけで葛餅と作り方や食べ方はほとんど変わらず、山菜である蕨の根から作られる蕨粉を使っているのが特徴です。奈良県にはかつて、蕨がたくさん自生していたため蕨粉の産地となっていましたが、現在蕨の収穫量は非常に少なく、葛粉同様、精製するのにも手間がかかることから蕨粉はより貴重とされています。そのため、市販のわらび餅には葛やサツマイモ、タピオカなどのデンプンが使われていることの方が圧倒的に多いですが、県内には100%の蕨粉を使った本わらび餅を販売している店舗や茶店がいくつかあり、一般的なわらび餅とは全く違った美味しさや食感を味わうことが出来ます。奈良県には貴重な吉野本葛や本蕨粉から作られる葛餅やわらび餅があり、国産100%だからこそ作り出すせる美味しさや弾力、口当たりの良さなどを感じることが出来るでしょう。県内でも扱っている店舗は限られているため、購入するまでに時間がかかることや値が少し張るものもありますが、ぜひ、奈良県に訪れた際には葛粉や蕨粉を100%使った貴重な葛餅・わらび餅にも注目してみて下さい。