栃木 お土産にも大人気の栃木の特産品

世界遺産である日光東照宮がある栃木県は関東の中でも北部に位置する県です。広大な土地や鬼怒川をはじめとする豊富な水資源、長い日照時間、那須地域の冷涼な気候は農業や酪農に適した環境であるため、栃木県では野菜・果実・米・そば・生乳・乳製品・肉など幅広い特産品があり、生産量や飼育頭数は全国の中でも上位に位置しているものが多いです。そんな中でも特に代表的でお土産としても人気の高い特産品や栃木県に訪れたら食べたいご当地グルメなどについて紹介していきます。

いちご

栃木県の特産品の中でも50年以上に渡って生産量1位を維持し続けているのが“いちご”です。栃木県の農業に適した環境に加えて、昼夜の寒暖差が大きいことがいちごを生育するのにとても適しており、この寒暖差がいちごの甘さと美味しさに大きく繋がっています。栃木県のいちごとして特に有名なのが「とちおとめ」という品種であり、ジューシーでみずみずしく甘さと酸味のバランスがよいのが特徴です。このとちおとめの凄いところは、全国で栽培されている品種の約30%がとちおとめであり、県内だけに留まらず全国でも栃木県で誕生したいちごが多くの人に食べられ親しまれているのです。他にも県内には人気の品種が多数あり、潰れにくくハートのような形のとちあいかや高級で粒が大きくまろやかなスカイベリー、真っ白な見た目としっかりした甘さを感じられるミルキーベリーなど多くのいちごが栽培されています。

いちごが日本に伝わったのは江戸時代、ヨーロッパから長崎を伝って輸入されました。このいちごをもとに初めて日本で作られた福羽(ふくば)という品種がとちおとめなどの先祖にあたります。今から150年以上も前に日本に伝わったいちごですが、栃木県でいちごが本格的に作られるようになったのは昭和30年代に入ってからのことになります。始めの頃は5~6月しか収穫することが出来なかったいちごですが、栽培の研究や技術の向上、品種改良などにより11月頃からでも食べられるようになりました。こうした生産者や農業団体などの努力の結果もあり、作り始めてから10年ほどで生産量は1位となりそこからその座をずっと守り続けているのです。いちご大国だけあって、生のいちごだけでなく県内にはいちごを使った商品も数多く販売されており、定番のジャムやジュース、アイス、洋菓子、和菓子、スナック菓子、お酒、お茶、フリーズドライしたいちご丸々使った商品など非常に多くの種類があります。さらには採れたての完熟いちごを冷凍させた冷凍いちごは一般的に販売されている物より実が大きく、甘さや香りもしっかり感じられるうえに日持ちも出来るため人気が高いです。また、県内にはいちご狩りが出来る施設やいちごを使ったスイーツを提供しているお店も多数あり、品種違いのいちごを食べ比べることも出来るため、いちご好きな方はぜひ栃木県に訪れての美味しいいちごを堪能してみて下さい。ギフトやお土産としてもおすすめですよ。

かんぴょう

かんぴょう巻きや太巻きに使われている“かんぴょう”は何から出来ているものかご存じですか?かんぴょうとは、ウリ科であるユウガオという大きな植物の果実をひも状に剥いて乾燥させた乾物食品であり、国内生産の98%以上を栃木県で生産しているため、代表的な特産品となっています。食感は柔らかいですが噛み応えもあり、カルシウムやカリウム、リン、鉄などの栄養も豊富に含まれているのが特徴です。基本的には、茹でて戻した後に煮て使われることが多く、イメージの強いかんぴょう巻きや煮物以外にもサラダやみそ汁などにも使われています。県内では4月半ばに苗を植え始め、夏場にかけて直径30cm程度まで成長したユウガオの実を収穫するため、かんぴょうの生産も7~8月が最盛期に当たり、農家では連日作業が行われます。前日に収穫したユウガオを専用の皮剥き器で一つずつ均等に削り出し、ビニールハウス内の竿に丁寧に干して天日干しをするため、日が昇る前の早朝から作業を始めることが多いそうです。干したかんぴょうは2日ほどかけて乾燥させていきますが、天候などによって3日以上かかってしまった場合は茶色く変色してしまうため、手間暇だけでなく天候も非常に重要な要因となっています。

かんぴょうが日本にいつ頃伝わり作られるようになったかは不明とされていますが、江戸時代にはすでにかんぴょうが生産されており、当時は栃木県ではなく大阪や近江国の水口(滋賀県)の方が産地として有名でした。その後、水口藩藩主が下野国(栃木県)の壬生藩に国替えとなったことがきっかけで栃木県にかんぴょうが伝わり、20世紀以降は栃木県がかんぴょうの主な産地となっています。もともとかんぴょうは中国から韓国へ、その後日本へと伝わっているため海外でも生産されており、国内の生産農家の減少などの影響も重なって現在は中国産が9割以上、国産が1割以下となっています。しかし、国産のかんぴょうでしか味わえない香りや食感のよさなどから老舗料亭などではニーズが高まっているため供給が追い付かず、希少品となりつつあるのです。栃木県産のかんぴょうには乾燥したもの以外にも味付けされているかんぴょうも販売しているため、普段料理で使わない方でも手軽に混ぜご飯の具材などとして使うことが出来ます。日常的には食べる機会が少ないかもしれませんが、希少な栃木県産のかんぴょうを見かけた際には手に取ってみて下さい。

宇都宮餃子

栃木県の中央にあり北関東最大の都市である宇都宮市といえば“宇都宮餃子”が有名です。宇都宮餃子は特にこれといった決まり事はなく、お店によって具材やタレ、食べ方、大きさなどさまざまになります。包むタネには肉よりも野菜の割合の方が多く、中でも白菜をメインに使っていることやパンチの強いにんにくをあまり使わないことが多く、他県の餃子より野菜の旨みを感じるあっさりとした味わいの餃子が多いのが特徴です。また、焼き餃子だけでなく、水餃子や揚げ餃子も同様によく食べられています。タレは醤油より酢が多め、または酢だけで食べるのが一般的となっているため、全体的にさっぱりとした印象が強いのも宇都宮餃子の特徴となっています。

宇都宮市に餃子が広まるきっかけとなったのは戦時中のことになります。当時、宇都宮に駐屯していた陸軍が満州に派遣され、現地で食べられていた餃子のことを帰郷した際に広めたことで宇都宮餃子が誕生したと言われています。戦後間もない頃に初めて市内に餃子を提供するお店が出来ると少しずつ広まり、昭和30年に入る頃には続々と店舗数が増えていきました。市内で餃子が広まると同時にニラの栽培にも力を入れ、現在はニラの生産量も常にトップを維持しているのです。また、栃木県は内陸型気候のため夏は暑く、冬は寒いこともあり、スタミナをつけるためにも安くて美味しい餃子を食べる人が増えていったと言われています。こうした背景があったことで、気づかないうちに1世帯当たりの年間購入額が15年連続日本一に輝くほど身近な食文化となり、これをもとに町おこしをしようと1990年に市内の餃子店をマップ化するなどの取り組みを行ったことで「宇都宮餃子」という名前が浸透していきました。現在、市内には餃子を提供するお店が200~300軒あると言われており、地元の学生はおやつ替わりとして餃子を食べて帰るほど身近なものでもあります。宇都宮餃子は本当にジャンルやバリエーションが豊富であるため、1店舗だけでなく何軒も訪れて自分好みの宇都宮餃子を見つけてもらいたいです。

佐野ラーメン

“佐野ラーメン”とは栃木県佐野市を中心に食べられているご当地ラーメンになります。佐野ラーメンはあっさりとした澄んだ醤油スープにのどごしのよいちぢれ麺、チャーシューやメンマ、ネギなどの具材が乗った王道系のラーメンですがこのスープと麺には大きな特徴があります。佐野市には日本名水百選に選ばれた出流原弁天池湧水をはじめとする湧水がいくつかあり、良質でクセがなく美味しい佐野の水はスープの出来にも大きく影響しています。また、基本的にはあっさりしていますが、鶏ガラや豚ガラ、香味野菜、にぼしなどを煮立たせずに丁寧にとったダシはとても旨みが強く、あっさりした味わいの中に奥深さを感じられます。

使われている麺は一般的な機械や手を使って作られるちぢれ麺と違い、太い青竹を使い体重を上手くかけながら生地を伸ばしていく「青竹打ち」という製麺技術を使って作られます。この青竹を使って打った麺は、不揃いながらもコシが強くなると同時に、小麦粉に対する水分量が他のラーメンよりも多いためもちもちでつるっとした食感を味わえるのです。さらに、青竹打ちをすると気泡もたくさん入るため、初めて食べる人はラーメンよりもうどんに近い食感を感じられるでしょう。麺の太さは細から中太とお店によって異なりますが、平打ちちぢれ麺が多いためスープに絡みやすいのは変わりません。ただし、すべてのお店が青竹打ちを取り入れて麺を作っているわけではなく、中には機会を使って再現しているお店もあります。

佐野ラーメンは大正初期に生まれた歴史のあるラーメンです。当時、この土地で働いていた中国出身の料理人が青竹を使った麺の打ち方を同僚の日本人伝え、昭和に入ると独立開業して中華そば屋を始めました。そこで販売した中華そばが佐野ラーメンの始まりとされています。繊維業が盛んで職人を中心に忙しい時には手軽に食べられるラーメンが重宝されたこともあり、ラーメン店の軒数はあっという間に増えていったそうです。また、高速が出来るとインターが近いことから都心から訪れる人も多く、評判が口コミで広がっていったためさらに店舗数は増え続け、現在は佐野市内に約160軒以上ものラーメン店があります。それぞれのお店ではこだわりのあるシンプルな醤油ラーメンが多いですが、魚介ダシが強いものや塩ベースのもの、特徴的な具材がトッピングされているものなど個性的なラーメンもあることやカップラーメンから生麺まで商品化して販売されているものが多いのも佐野ラーメンの大きな魅力となっています。

日光ゆば

ゆばは豆乳を煮た時に出来る薄い膜を引き上げたものであり、乾燥する前が生ゆば、乾燥したものが干しゆばとして販売されています。京料理で使うイメージが強いゆばは産地が2つあり、京都と並んで2大産地とされているのが栃木県の日光です。基本的な作り方は同じですが、製法や使い方、さらには表記の仕方が違っているのが面白いポイントとなっています。京都のゆばは、豆乳の表面に出来た膜の端に串を入れて引き上げるため薄く繊細な一枚仕立てとなり、京料理の見た目や色どりなど華を添える脇役として重宝されています。反対に日光のゆばは膜の真ん中に串を入れて二つ折りになるように引き上げるためふっくらと厚みのある二枚仕立てとなり、生ゆばのさしみやゆばの含め煮、鍋の具材などメイン料理として使われるのが特徴です。また、京都は「湯葉」日光は「湯皮」と書き、表記にも違いがみられます。良質な高たんぱく質と脂質があり、低カロリー、カルシウムや鉄分も豊富に含まれているため体にもよく、肉厚でもちもちとした食感が楽しめるのが伝統的な郷土料理である日光ゆば(湯波)になります。

ゆばは今から1200年ほど前に仏教と一緒に中国から京都へ伝わり、精進料理として僧や山伏たちによって全国へと広がっていきました。日光には平安時代に伝わったとされており、日光山で修業を行う修験者の貴重なたんぱく源として欠かせないものだったそうです。江戸時代に入ると東照宮などの寺社への供物としても使われるようになったことでゆばを製造販売する業者が増え、身近なものへと変わっていきます。次第に料亭やホテル、家庭でも食べられるようになったことにより、現在はハレの日などの特別な日に食べられるだけでなく、観光客にも人気のある郷土料理となっています。市内にはコース料理や定食、単品料理が食べられるお店がいくつかあるため、日光東照宮を訪れた際には立ち寄ってみるのもおすすめです。また、生ゆばや揚巻湯波、湯波菓子などバリエーションの多い商品も販売しているため、日光ならではの湯波料理を楽しんでみて下さい。