郷土料理とはその土地で生産される特産物や歴史・文化が深く関わり誕生した料理です。古くから日本の主要都市であった東京にもたくさんの郷土料理がありますが、その多くは私たちが普段慣れ親しんで食べている料理が多く含まれているのをご存じですか?今回は東京都に訪れた際には食べておきたい代表的な郷土料理から馴染み深いグルメについて紹介していきます。
寿司/江戸前寿司
今や日本人だけでなく海外から訪れる観光客にも人気のある日本料理の1つが“寿司”です。多くの人から親しまれている寿司(握り寿司)こそ、東京で生まれた郷土料理になります。国内では、手軽に食べられる回転寿司から職人が手間と技術をかけて提供する高級寿司まで数多くの寿司屋があり、握り寿司以外にも巻き寿司やちらし寿司、押し寿司、稲荷ずしなども含めると種類の豊富さも魅力となっています。一般的な握り寿司は、主に酢飯の上に魚介類の切り身などの具材を乗せて作られていますが、もとからこの形だったわけではなく、原形となるものは「なれずし」と呼ばれる発酵食品でした。
タイや中国などの東南アジアに起源があるなれずしは、冷蔵庫がない時代に食品を保存するために生まれた方法で、魚介類を塩とごはん(たんぱく質)で漬け込み発酵させた保存食として奈良時代に伝わったとされています。なれずしは長期発酵させることで酸味を持ち、漬け込んだ魚介類だけを食べていましたが、時代の流れとともにごはんも食べるようになり、江戸時代に米酢が作られるようになると発酵させる必要のない早寿司という料理が生まれました。その後さらに押し寿司や箱寿司などに変化していき、江戸時代後期には忙しない江戸の人達のために提供出来るようにと、屋台で握ったらすぐ食べられる握り寿司が誕生し庶民にとって身近な料理へと変化していったのです。当時は、今よりも2~3倍ほど大きいサイズで提供されていたため、切り分けて食べていた名残が1皿に2貫乗せる現在のスタイルに影響しています。都内の一部では今でも“江戸前寿司”と呼ばれていますが、これは東京湾(江戸前)でとれる魚介類や海苔を使っていたことから呼ばれていた名称であり、酢飯に赤酢を使うのが特徴です。また、生だけでなく、締めもの・火を通したもの・漬けなどさまざまな下ごしらえの手法を取り入れたネタや卵焼きを一緒に提供するのも特徴となっています。有名な寿司屋が多い東京ですが、昔ながらの手法を取り入れた江戸前寿司を提供しているお店もいくつかあるため、慣れ親しんだ寿司の歴史を感じてみるのもおすすめの食べ方です。
もんじゃ焼き
粉もの料理として人気のある“もんじゃ焼き”も東京で生まれた郷土料理になります。キャベツや天かす、切りいかなどをメインに明太子やチーズなどの具材を鉄板で細かく刻み、水でゆるく溶いた小麦粉と混ぜて焼いていきます。具材によって味わいや食感が変わり、ヘラですくい取って食べるのが特徴です。また、鉄板に面しているパリッとした食感と直接面していないトロっとした2つの食感が楽しめるのも特徴になります。下町として有名な月島や浅草発祥の食べ物であるため、特に月島・浅草には多くの専門店がありますが、東京都23区の中でも墨田区や台東区を中心とした城東地区にお店が多く、現在でも地元の方から観光客まで広く親しまれています。今では食事として食べられることが多いですが、もともとは子供のおやつとして食べられており、江戸時代末期頃から駄菓子屋で売られるようになりました。当時は物資が少なく、紙などの代わりに小麦粉を水で溶いた生地を鉄板に垂らし、文字や絵を書いて遊んでいたことから「文字焼き(もじやき/もんじやき)」と呼ばれていました。この呼び方が変化したことでもんじゃ焼きという名前として現在は浸透しています。
戦後は具なしの生地に少しずつキャベツなどの具材が使われるようになり、一般的な焼き方でもある土手を作ってから焼く方法が定着していきますが、浅草などの一部の地域では定着せず生地と具材を混ぜてから焼く方法が現在も使われています。実はお好み焼きよりもんじゃ焼きの方が歴史が古く、大正時代に文字焼きの派生であるどんどん焼きが関西に伝わり、各地で独自に変化したことでお好み焼きやたこ焼きが誕生しました。昭和には多かった駄菓子屋は年々減少していき、もんじゃ焼きが食べられるお店も減っていきましたが、文化を残そうと専門店を作り子供から大人へと対象者を変えたことで、現在は東京だけでなく全国各地でも愛されている粉もの料理へと変化していったのです。特に月島のもんじゃ焼きは認知度が高く、自宅でも簡単に作れるセット商品として販売しているものも多いですが、もんじゃ焼きをイメージしたお菓子なども多く商品化されており、お土産やおやつとして非常に人気が高いです。また、月島にはもんじゃストリートがあり約80軒の専門店が軒を並べているため、好みのお店を探してみるのも楽しいですよ。
天ぷら
魚介や野菜などの食材に衣をつけ油で揚げる“天ぷら”も寿司と並んで代表的な日本料理であり東京の郷土料理です。江戸時代には屋台の立ち食い料理として親しまれていた天ぷらは、室町時代末期に南蛮貿易によってポルトガルから伝わったフリッターのような料理が発祥であり、京都などを経由して東京に伝わったことで形が変化したと言われています。そのため、当時の上方では魚のすり身を素揚げにしたものを天ぷらと呼んでいましたが、江戸ではすでに魚介の衣揚げのことを天ぷらと呼び、東京湾(江戸前)でとれた新鮮な魚介類を100%のごま油で揚げることから“江戸前天ぷら”とも呼ばれていました。当時は、早く安く食べられる庶民の料理として親しまれていたこともあり、串揚げのように食材に串に刺して提供していたのも特徴で、使われていたごま油は魚の臭みを消す効果もありました。また、油が貴重だった時代でもあるため継ぎ足しをして使われていたことから、油っこさを解消するためのアイディアとして天つゆや大根おろしを使って食べていたとされています。
江戸時代には屋台料理として身近な存在であった天ぷらですが、江戸時代後半から明治にかけて揚げ方や具材の工夫・改良がされたことで高級料理の地位を確立し、屋台ではなく専門店や料亭などの店舗を構える店が増えていきました。店舗の増加や大正に起きた関東大震災で職人が各地に移り住んだことで、食材に衣をつけたものが天ぷらとして全国へと広がります。しかし、昭和初期はまだ油が高価だったこともあり、家庭では特別料理として扱われていましたが、次第に惣菜として販売するようになり油も安価に手に入るようになると自宅で作った方が味も経済的にも美味しいということから家庭料理として浸透していったのです。現在都内では、ごま油が高価であることや匂いが店内にこもるなどの理由から100%ごま油を使って作っているお店はほとんどありませんが、安くて美味しく親しみやすいお店からこだわりの食材を1つずつ提供する高級店までさまざまなお店があります。それぞれによさや違いがあるため、目的に合わせて選べるのも天ぷらの魅力かもしれません。
ちゃんこ鍋
力士の料理として認知されている“ちゃんこ鍋”は、東京で生まれた郷土料理でもあり、相撲部屋において力士の身体をつくるために日常的に食べられている鍋料理です。ちゃんことは本来、力士たちが作る手料理や力士が食べる料理全般のことになるため、ステーキや焼き肉、ラーメンなどもちゃんことなりますが、その中でも鍋は一度に大量に作れることやさまざまな食材を使えること、栄養バランスがよいこと、さらには加熱するため食中毒などを防げることなどの理由から食べる機会が多いのです。昆布や鶏ガラ、野菜などからとったダシ汁に鶏肉・白菜・豆腐などの具材を一緒に煮込んで作られますが、具材や味つけの種類はさまざまであり、各相撲部屋には伝統の味を受け継いでいるレシピも存在しています。明治中期頃までの食事は個々に配膳されていたそうですが、両国国技館が完成した頃に入門者が急激に増え、食事の準備が間に合わなくなったことで一度に大量に作れる鍋料理が活用されるようになると、相撲界全体の定番料理へと定着していきました。昔は、手をつくと負けるといったイメージから四足歩行の牛や豚の肉を使うのを避けていたこと、両国に鶏の大市場があったことからちゃんこ鍋には鶏肉をメインに使うことが多かったですが、戦後からは牛や豚も使うようになり、よりバリエーションの幅が広がりました。
現役を引退した元力士が自分の育った相撲部屋の鍋料理を一般の方に向けて提供したことでちゃんこ鍋を食べる機会が増え、一般の方にも受け入れられるようになりました。ちゃんこ鍋は一般的に言えば寄せ鍋のことであるため、使う食材も肉・魚介類・野菜・きのこなどさまざまであり、醤油・塩・味噌といった定番の味つけからカレー・ぽんず・豆乳・トマト・キムチなどのバリエーションが豊富なのも特徴です。力士が作るからちゃんこ鍋となり、一般の方が作ると寄せ鍋になってしまうというところがポイントでもありおもしろい点でもあります。店舗で提供されるちゃんこ鍋には肉や魚介類が一緒に入っているものもありますが、本来は肉と魚が一緒に入っている鍋はなく、具材や味付けがより万人受けするように考案されたという違いがみられます。両国を中心に都内にはちゃんこ鍋を提供するお店がたくさんあり、ベースとなる味の違いはもちろんですが、使う具材や相撲部屋の違いなどからも大きく風味が変わります。お店ごとに特徴やこだわりがあるため、寄せ鍋とは一味も二味も違う美味しさを味わってみて下さい。
深川めし/深川丼
農林水産省郷土料理100選にも選ばれている“深川めし(深川丼)”は、アサリとねぎを使った江戸時代から食べられている郷土料理になります。駅弁でも販売されている炊き込みご飯をイメージしやすいですが、もともとはアサリやハマグリなどの貝とねぎを味噌で軽く煮て、汁ごとごはんにかけたお茶漬けのような料理です。現在はアサリと醤油を使った炊き込みごはんタイプもあるため、ぶっかけと炊き込みの2種類に分かれています。また、具材を味噌で煮込みごはんにはかけず鍋のまま提供する深川鍋もあります。
東京駅より少し東に位置する深川は、埋め立てられる以前は海に面した土地であり、江戸時代の頃にはアサリやハマグリをはじめとする貝類が豊富にとれる漁師町として有名でした。そのため、漁師が仕事の合間をみて手早く食べられるうえに栄養も補給出来るように考えられたのが深川めしのルーツとされています。漁師飯として食べられていた際には、アサリやネギを使った澄まし汁をかけていたとされていましたが、味噌や醤油を使って味つけされるようになると次第に屋台でも販売されるようになり、一般の方にとっても手軽に食べられるスピード飯として浸透していきました。手軽さから家庭でも作られるようになり、明治に入り醤油が各家庭でも使われるようになると、弁当として持って行けるように炊き込みご飯タイプの深川めしが誕生します。このような背景から深川めしは食べ方が2種類に分かれており、どちらも親しまれていましたが水質の悪化と埋め立てによって深川から海が消えると、深川めしを食べる機会も減っていきました。しかし、郷土料理として深川の食文化を復活させようと取り組んだことで、現在は深川や白川清澄周辺の飲食店で食べることが出来ます。また、弁当として販売しているものが基本的に炊き込みごはんであることから、現在は、炊き込みごはんの方が深川めしとしての印象が強くなっているのです。炊き込みごはんの素も販売しておりお土産としてもおすすめですが、どちらもまったく違った特徴を持っているためぜひ食べ比べてみて欲しいです。
ねぎま鍋
“ねぎま鍋”という料理を知っていますか?東京の郷土料理の1つでもあるねぎま鍋は、名前の通りねぎとマグロをダシや醤油、日本酒などで味つけした鍋料理になります。ちゃんこ鍋やおでん、柳川鍋など東京発祥の鍋料理の中ではポピュラーではないものの、現在でも浅草を中心に懐石料理や鍋を扱っている飲食店で食べることが出来ます。具材はマグロとねぎを主役として白菜などの野菜やきのこを入れるお店も多いですが、他の鍋に比べると非常にシンプルであるのが特徴です。マグロは火を通しすぎてしまうと硬くなってしまうため、他の具材に火が通ったタイミングで加え1~2分軽く煮てから食べます。そうすることで、マグロは硬くならず余分な脂が落ちるうえにねぎの香りが移り、反対に鍋の野菜にはマグロの旨みが染み出てシンプルが故の相乗効果を最大限に味わうことが出来るのです。
ねぎま鍋には赤身よりトロなどの脂が多い部位をメインに使うため、現代では高級料理のイメージがありますが、冷蔵庫などがなく保存方法が限られていた江戸時代には赤身を醤油漬けにして保存していたため、傷みやすく保存しにくい脂の多い部位は使われず廃棄されるだけでした。それに気づいた庶民が廃棄される部位を何か他の料理に使えないかと考案し誕生したのがねぎま鍋になります。そのため、昔は庶民の味として家庭で作られる鍋でもありました。しかし、年月の経過とともにトロなどの部位の価値が上がり高価になったことから、家庭で作られることが減り、高級料理のイメージが付くようになっていきました。ちなみに、ねぎと鶏肉が交互に串に刺されている焼き鳥の「ねぎま」も、本来はねぎとマグロが使われていたためねぎまという名前がついたとされています。こちらもマグロの値上がりやマグロが寿司や刺身で使われることの方が多くなったことから、安価に手に入る鶏肉が使われるようになり名前だけが残ったと言われているのです。現在は高級料理の1つともなっているねぎま鍋ですが、マグロの切り身などを使えば簡単に自宅でも作れるため、東京生まれの伝統的な鍋の味を再現してみてはいかがでしょうか。