兵庫 伝統と国際色どちらも感じられる兵庫県の特産物・グルメ

日本の中でも数少ない日本海と太平洋、さらには瀬戸内海にも面した兵庫県は、山地から平野まで地形や地質の異なる地域も多く、県内でも北部と南部など場所によって気候も大きく異なります。また、姫路城や有馬温泉といった日本らしさが感じられる一方、異人館をはじめとする建築物や食べ物など異国を感じる瞬間も多く、日本と海外の良さを持ち合わせた県としても人気が高いです。こうした兵庫県の立地や環境などは県内の特産物やグルメなど主要な食べ物にも大きく影響しており、魅力の1つにもなっているため、今回は兵庫県の代表的な特産物から海外の影響を受けたグルメまで幅広く紹介していきたいと思います。

淡路島たまねぎ

生でも火を通しても食べることが出来るたまねぎは、主菜・副菜・隠し味などジャンルを問わずさまざまな料理に使うことが出来る万能な野菜です。料理には欠かせないたまねぎは全国各地で生産されていますが、中でも兵庫県の南部に位置する淡路島で作られている“淡路島たまねぎ”は、一般的なたまねぎに比べると柔らかくてみずみずしく、辛みが少ないため、甘くて美味しいと非常に人気があります。県外から美味しいたまねぎを購入するために淡路島を訪れる方も多く、取り寄せやふるさと納税の返礼品として選択するなど、新規だけでなくリピーターが多いことからも人気の高さを窺うことが出来ます。そんな淡路島たまねぎは、一般的なたまねぎとどのような違いやこだわりを持って作られているのでしょうか。

淡路島は一年の平均気温が16度前後と温暖な気候で日照時間も長く、雨が少ないことからたまねぎを作るのに非常に適した環境をしていますが、それに加えて、太平洋や大阪湾といった海に囲まれた土壌にはミネラルが豊富に含まれているため水はけもよく、たまねぎに余分な水分が吸収されずに栄養をギュッと閉じ込めることが出来ます。このミネラルはたまねぎの辛みやえぐみの素となる成分を少なくする働きもしてくれるため、通常よりも辛みを感じにくく、生でも食べやすい理由に大きく影響しているのです。さらに、一般的なたまねぎは通常4か月ほどで収穫されるところ、淡路島のたまねぎは収穫するまでに6~7か月と2倍近い時間をかけて育てており、秋に植えた苗は冬を越しながらじっくり旨みと栄養を貯えて育っていきます。収穫後もすぐに出荷ではなく「吊り小屋」という淡路島では伝統的な貯蔵庫に一定期間たまねぎを吊るして乾燥・貯蔵させるのが特徴で、このひと手間を行うことによって水分が適度に抜けて身が締まり、糖度も増していきます。一般的なたまねぎの糖度は5%前後なのに対して、しっかり乾燥・熟成させた淡路島たまねぎは10%前後と糖度が高く、なかには15%以上とフルーツ並みの糖度を含んでいるものもあるほどです。吊り小屋は乾燥を目的にしていることから壁がなく、屋根と骨組みだけの作りとなっていますが、たまねぎがたくさん吊るされた光景は収穫される5~6月頃から出荷されるまでの1~2か月間見られるため、淡路島でしか見ることが出来ない夏の風物詩でもあり、同時に淡路島のたまねぎ特有の甘さにも繋がっています。

さらに、淡路島では稲作の裏作としてたまねぎを栽培しているため、お米と交互にたまねぎを栽培しており、2か月ほど成長させた苗をお米を作った田んぼに植え替えて育てているのも特徴になります。他にも島内で飼育されている牛の堆肥を田んぼに使うなどをして改良し、より肥沃な土壌やたまねぎを育てやすい環境を作り出しています。これも吊り小屋と同じく、淡路島では古くから行われている伝統的な農法であり、恵まれた気候や土壌だけでなく、たまねぎを栽培するための知恵や工夫、時間や手間をかけて丁寧に育てているからこそ、甘くて柔らかくみずみずしい特徴を持つたまねぎが作られているのです。水分量が多いため日持ちしにくく、保存状況によっては傷みやすいというデメリットはありますが、その分身が柔らかく火を通すとトロっとした食感を楽しむことも出来ます。また、収穫時期の早さによって極早生・早生・中生・晩生と種類や品種が変わり、味や食感などの特徴やおすすめの食べ方も変わるため、その時々で変わる美味しさも味わってみて欲しいです。淡路島たまねぎは甘みや旨みが強いことから、ドレッシングやスープ、せんべいなどの加工品の人気も高く、なかにはジャムや佃煮、たまねぎが丸々1個具材として入ったカレーなどインパクトのある商品も販売しているため、ぜひ加工品もチェックしてみて下さい。

明石焼き(玉子焼)

タコを使ったソウルフードといえば大阪のたこ焼きが有名ですが、兵庫県にもタコを使った“明石焼き”というソウルフードがあるのをご存じですか?兵庫県明石市の郷土料理である明石焼きは、小麦粉・卵・だし汁を混ぜた生地にタコを入れて丸く焼き上げるため、見た目や材料からたこ焼きと間違えられやすいですが異なる点がいくつかあり、それぞれの特徴にも大きく影響しています。小麦粉をたくさん使うたこ焼きに対して明石焼きは卵をたっぷり使い、さらに加熱しても硬くならない「じん粉」という小麦粉のでんぷん質だけを取り出した粉も加えることで、ふわふわっと柔らかくトロっとした食感を味わうことが出来ます。柔らかさのあまり、焼きあがった明石焼きは丸形を維持することが出来ず、半球のような形に変形してしまうほどです。また、たこ焼きの具材にはタコの他に紅ショウガや天かすなども使いますが、タコしか使わないのが明石焼きの特徴で、シンプルであるが故に卵の風味を感じられるのも明石焼きの良さとなっています。食べ方もソースなどはかけずにそのまま食べたり、鰹節や昆布から取っただし汁につけて食べるため、一見たこ焼きに似ているものの実際には食感や味わい、食べ方などが異なり、全く別の食べ物であるのです。

明石焼きが誕生した時期は正確には分かっていないとされていますが、江戸時代から明治時代にかけて誕生したのではないかと言われています。江戸時代末期、明石地方では硝石や滑石などの粉末と卵白を原料にした「明石玉」という人口珊瑚を生産しており、本物の珊瑚に代わってかんざしなどの装飾品として使われていました。当時は非常に人気があり、生産量も多かったそうですが、作れば作るほど卵の黄身だけが余ってしまったため、大量に残った黄身に小麦粉を混ぜ、明石で漁獲量の多かったタコを使って作られたのが明石焼きのはじまりとされています。当時は明石焼きという名称ではなく、生地に卵を多く使うことから「玉子焼」と呼んで親しまれていました。そのため、現在でも地元では玉子焼と呼ぶ方も多いそうですが、一般的な卵焼きと区別するためや明石市のPRとして明石焼きと名付けたことで知名度が広まったため、全体的に明石焼きと呼ぶことの方が増えています。明治時代にはすでに屋台で販売されていた明石焼きは当初、素焼きの状態で提供されていましたが、焼きたてでもすぐに食べられるよう冷ましただし汁を添えるようになったことにより、だし汁をつけて食べる食べ方が定番化していきました。誕生時期こそ定かではないものの、明石焼きの歴史は非常に古く、約160年以上の歴史があると言われています。ちなみに、昭和初期にもんじゃ焼きから派生したラヂオ焼きに明石焼きの要素を加えて作られたのがたこ焼きであるため、歴史の長さも異なっているのです。今では手軽さやバリエーション・店舗数の多さからたこ焼きを食べる機会が圧倒的に多く、身近な食べ物となっていますが、明石市内には約70軒の美味しい明石焼きが食べられる店舗が存在しているため、兵庫県に訪れた際にはたこ焼きの元祖でもある明石焼きを食べて、食感や風味の違いを体感してみて下さい。また、全国にあるたこ焼き店や居酒屋でも店舗によっては明石焼きを提供していることがあるため、見かけた際にはぜひ注文してみて下さい。

ぼたん鍋

黒豆のイメージが強い丹波筑山市では猪肉を使った“ぼたん鍋”が古くから食べられており、郷土料理にもなっています。味噌ベースのだし汁に猪肉と白菜やごぼう、ネギなどの季節の野菜、きのこ、豆腐などの具材を入れて煮る鍋料理で、味噌のコクと猪肉の旨み・甘みを感じられるのが特徴です。日本では現在、主な食肉として牛・豚・鶏が畜産されており手軽に購入することが出来るため、住んでいる地域によっては猪肉を食べたことがないという方も多いですが、国内にはまだまだ野生動物が生息しており、農作物被害の防止などによって捕獲された野生動物は食肉として利用されることも多いです。国内で食べることが出来る代表的なジビエには、猪の他に鹿、熊、鴨、ウサギなどがあり、近年は栄養価の高さや加工技術の向上により美味しいと注目されることも増えています。特に猪は個体数も多く、縄文時代から食べられているほど日本人にとっては馴染み深い食材であるため、今でも日本各地で食べる文化が残っていますが、ぼたん鍋として食べるようになったのは丹波篠山が発祥地であり、地元の方や観光客、さらには食通の方からも広く愛されています。

猪肉は全国で獲ることが出来ますが、なかでも兵庫県丹波篠山、静岡県天城山、岐阜県郡上八幡の3か所は猪肉の三大名産地として有名であり、肉質が良質で美味しいと高く評価されています。特に丹波篠山は栗や黒豆、きのこ、木の実、山芋など山の幸が豊富に手に入る環境から食べるものに困ることがなく、栄養や脂肪をたくさん蓄えることが出来るうえに、起伏の多い地形で思う存分走りまわることが出来るため、筋肉が引き締まり、良質な脂肪と合わさって絶品の肉質が作り出されます。これは、養殖では作り出すことは出来ず、自然豊かな野山でのびのびと暮らしているからこそ生まれる産物でもあるでしょう。猪肉をぼたん鍋として食べられるようになったきっかけは明治時代中期頃、陸軍の歩兵隊が篠山に駐屯した際に訓練で捕獲した猪をみそ汁や鍋にして食べたのがはじまりとなっています。しばらくの間は「いの鍋」と呼ばれていましたが、昭和に入って地元の民謡の歌詞を募集したところ、いの鍋に代わって「ぼたん鍋」という言葉が使われていたことかがきっかけでぼたん鍋という名称が浸透していったそうです。そのため、他県ではしし鍋と呼ぶ地域も多く、味つけや使う食材が違うこともありますが、基本的にはどちらも猪肉を使った鍋ということは共通しています。また、ぼたん鍋ではお馴染みの薄くスライスした猪肉を牡丹の花のように皿に盛りつける方法は、地元の旅館がぼたん鍋という名称から思いついた提供方法となっています。

ジビエはクセや臭みが強いと思われることも多いですが、鮮度や調理方法などによってはほとんど感じられず、食べやすい種類も多いです。中でも猪肉は豚肉に近い味わいから食べやすいとされていますが、特に丹波篠山の猪肉は脂肪分が多いにも関わらずしつこくなく、濃厚な旨みや甘み、柔らかい肉質を楽しむことが出来るため、食べ慣れていない方でも美味しく食べることが出来るでしょう。ただし、狩猟期間が定められており、11月初旬の狩猟解禁に合わせてぼたん鍋も解禁する店舗が多いため、ぼたん鍋を食べる場合は、訪れる季節もチェックしておくことが大切です。

ビフカツ・かつめし

子供から大人まで年齢層関係なく愛されているトンカツは、衣をつけた豚肉をカラッと揚げた料理ですが、このトンカツが生まれるきっかけとなったのが“ビフカツ”です。ビフカツはその名の通り、牛肉に衣をつけて揚げた料理で、ビーフカツやビーフカツレツ、牛カツなどの呼び方をすることもあります。明治時代初期に仔牛の肉に衣をつけてバターで炒め焼きにするコートレットというフランス料理が紹介されると、日本では牛肉の他に鶏肉などの食材も使い、炒め焼きから揚げるという調理方法に改良されてカツレツという料理が誕生しました。後に、安価で美味しい豚肉を使うことが増えたため、関東を中心にトンカツが広まりましたが、牛肉文化が根付いていた神戸を中心に大阪や京都などの関西では牛肉を使ったビフカツの方が主流となり、今でも日常的に食べられているのです。牛肉はレアやミディアムなど完全に火が通っていない状態でも食べられるため、衣のサクッとした食感と牛肉のしっとりとした柔らかい食感を楽しむことが出来るのもビフカツならではのよさとなっています。コートレットという料理が紹介された後、神戸では早々にステーキと一緒にビフカツを提供し始めたため特にビフカツの歴史が長く、ビフカツを扱う洋食店の店舗数も多いです。近年は、牛カツとしてわさびや薬味で食べる和食スタイルも浸透しつつありますが、もともとフランス料理であったこともあって、神戸では基本的には洋食として扱われていることが多く、デミグラスソースがかかっていることに加えて、付け合わせにはサラダやスパゲッティが添えられているのが一般的です。このデミグラスソースがまた美味しさの秘訣の1つにもなっており、旨みの強いものからあっさりしているもの、酸味を感じられるものなど店舗によってそれぞれにこだわりが味わえるのもビフカツの楽しみ方になります。

そして、県内の加古川市では、このビフカツを使った“かつめし”というご当地グルメも人気が高く親しまれています。かつめしとは、平たい皿や洋食皿にごはんを盛りつけ、ビフカツを乗せてデミグラスソースをかけ、茹でたキャベツを添えた一皿料理です。カツカレーのような見た目ではありますが、スプーンではなく箸を使って食べるのが特徴でもあり、戦後、加古川で営業していた食堂でビフカツを提供する皿が足りず、一つの皿に乗せて提供したのがはじまりと言われています。お箸で気軽に食べることが出来るというコンセプトと共に加古川市内の食堂や喫茶店に広まっていき、地元で愛されるご当地グルメとなりました。しかし、加古川市以外ではあまり見かけることがなく、限られたエリアでしか提供されていなかったことや老舗の店舗の閉店などにより一時店舗数が減少してしまいましたが、郊外にも出店したことやご当地グルメとしてPRしたことによって知名度が広がり、現在は加古川市を中心に100以上の店舗でかつめしを食べることが出来ます。最近は、ビーフカツだけでなくトンカツやチキンカツ、海老などのバリエーションも豊富で、さらにはハンバーガータイプのかつめしバーガーなども登場しているため、元祖であるビフカツと共に一味違った美味しさを味わえるかつめしも味わって、好みのスタイルやお気に入りの店舗を見つけてみて下さい。

洋菓子

兵庫県の県庁所在地である神戸市には、バームクーヘンやプリン、チョコレート、ゴーフル、パイにクッキー、そしてさまざまな種類のケーキなどたくさんの“洋菓子やスイーツ”が身近にあり、そのレベルも非常に高いです。メディアや雑誌、旅行ガイドブックなどでは度々「神戸スイーツ」として紹介されることも多く、地元の方にはもちろんのこと、神戸に訪れる観光客からの注目度も高いため、市内のカフェや洋菓子店を巡る方や自分へのご褒美、知人へのお土産として洋菓子を購入していく方も多いです。市内の個人店には素材にこだわり、シンプルで繊細な洋菓子を味わえる店舗からフランスをはじめとする海外や国内のラグジュアリーホテルで修行したシェフが作る芸術品のような洋菓子が楽しめる店舗まで幅広く現存しており、流行に沿った新店舗も地元に愛され続けている老舗も数多く混在しています。また、古くから洋菓子が親しまれていたこともあって市内には大手洋菓子メーカーも多く、神戸凮月堂・本高砂屋・ゴンチャロフ・モロゾフ・ユーハイムなど神戸だけでなく、今や日本を代表する数々の洋菓子メーカーが拠点を構えているのです。もちろん、どら焼きやきんつばといった和菓子の人気も高く、老舗和菓子店も市内には多数ありますが、それ以上に大小問わずいくつもの洋菓子店が存在しているため、その多さから「洋菓子天国」と呼ばれるほど親しまれていています。

なぜ、ここまで神戸に洋菓子店が多く、古くから親しまれるようになったのかというと、これには神戸港の影響が大きく関わっているようです。明治時代の始まりと共に開港した神戸港には多くの外国人が訪れ、居住するようになりました。神戸にはアメリカ以外にイギリスやドイツ、フランス、オランダなど他の港よりも西洋を中心とした国から居住する人が多く、早いうちから西洋文化が伝わり港町として栄えていったため、神戸の発展にも西洋文化の影響を受けたものがいくつもあるのです。こうした歴史とともに独自の文化が生まれ発展してきたことが神戸で異国情緒を感じる雰囲気が多い理由にもなっており、建築物や食文化にも影響し根付いていきました。洋菓子もそのうちの一つですが、当初は日本人に馴染みのなかったバターが好まれず、あまり受け入れられなかったと言われています。しかし、海外との交流が多かったことやその文化を取り入れつつ日本人が食べやすいような改良をしてきたこと、さらに明治中期には本格的な洋菓子店が開業したことに加えて、味に厳しい神戸の人に受け入れられるよう職人の育成や技術の向上に力を入れたことなどが少しずつ洋菓子を発展させ定着するようになっていきました。また、大正に発生した関東大震災によって東京の洋菓子職人が神戸に流れてきたことや来日した職人が横浜港に上陸出来ず、神戸港に変更したことも洋菓子の発展に影響しているようです。今ではレベルの高さから神戸スイーツの美味しさは日本各地にまで認知され、百貨店や物産展、ポップアップなど他県でも有名な店舗の洋菓子を食べられる機会が増えていますが、神戸に訪れないと食べられない種類や購入出来ない店舗がまだまだたくさんあるため、時代の流れとともに発展してきた洋菓子をぜひ神戸で堪能してみて下さい。味はもちろんですが、お菓子の見た目や店舗の雰囲気もおしゃれで華やかなものが多いため、さまざまな角度から楽しんでもらいたいです。